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土佐日記『帰京』のあらすじ・原文 |
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著作名:
走るメロス
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土佐日記『帰京』の本文をあらすじにまとめました
このテキストでは、土佐日記の一節「帰京」の「京に入り立ちてうれし~」から始まる部分のあらすじと原文を記しています。
日付でいうと二月二十六日。書籍によっては、「夜更けて来れば、所々も見えず」から始まる部分を「帰京」とするものもあるようです。
土佐日記とは
土佐日記は平安時代に成立した日記文学です。日本の歴史上おそらく最初の日記文学とされています。作者である紀貫之が、赴任先の土佐から京へと戻る最中の出来事をつづった作品です。
本文をあらすじにまとめました
京都に戻ってこれて嬉しい。自宅の門に入ると、月の光が明るいので、家の様子がよく見える。聞いていた以上に家が荒れているが、家の管理を任せた隣人の心も荒れていたのであろう。隣人が自ら進んで管理を引き受けてくれたのではあるが、機会のあるごとにお礼の品を送っていたのにもかかわらず...薄情だとは思うが、お礼の贈り物はしようと思う。
さて、庭に生えた松の木は、1000年も時が過ぎてしまったかと思うほど変わり果てていた。松だけではなく大部分が荒れ果ててしまっているので、それを見た人々も「あぁ、なんということだろうか。」と口にしている。
この家での出来事について思い出さないことはない。昔を思い恋しく感じることの中でも、この家で産まれた娘が土佐で死んでしまったため、一緒に帰ってこれなかったことがどれほど悲しいことか。土佐から一緒に帰ってきた人たちの所には、子どもが集まって団らんをしている。こうしているうちによりいっそう悲しみがこみ上げ、妻と和歌を詠んだ。
(この家で)生まれた子でさえも帰ってこないというのに、(留守の間に)我が家に生えた小さい松が(育って)いるのを見るのは悲しいことだよ。
これだけでは詠み足りず、次のように詠んだ。
以前会ったことのある人(亡くなった娘)が、松が1000年生きるように(生き長らえてその様子を)見る(ことができるの)ならば、遠く(土佐で)悲しい別れなどしただろうか、いや、せずにすんだろうに。
忘れがたく残念なことも多いが、書きつくすことはできない。とにもかくにも、こんな日記は早く破り捨ててしまおう。
原文(本文)
京に入り立ちてうれし。家に至りて、門に入るに、月明かければ、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりもまして、(※1)言ふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。
中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。さるは、便りごとに物も絶えず得させたり。今宵、
「かかること。」
と、声高にものも言はせず。いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。
さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに、(※2)千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるぞ交じれる。おほかたのみな荒れにたれば、
「あはれ。」
とぞ人々言ふ。思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。(※3)船人もみな、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに(※4)心知れる人と言へりける歌、
とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、また、かくなむ。
忘れがたく、口惜しきこと多かれど、え尽くさず。とまれかうまれ、疾く破りてむ。
現代語訳
土佐日記『帰京』わかりやすい現代語訳と解説
品詞分解
土佐日記『帰京』の品詞分解
著者情報:走るメロスはこんな人
学生時代より古典の魅力に取り憑かれ、社会人になった今でも休日には古典を読み漁ける古典好き。特に1000年以上前の文化や風俗をうかがい知ることができる平安時代文学がお気に入り。作成したテキストの総ページビュー数は2億を超える。好きなフレーズは「頃は二月(にうゎんがつ)」や「月日は百代の過客(くゎかく)にして」といった癖のあるやつ。早稲田大学卒業。
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