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宇治拾遺物語『尼、地蔵を見奉ること』(今は昔、丹後国に老尼ありけり〜)わかりやすい現代語訳と解説

著者名: 走るメロス
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宇治拾遺物語『尼、地蔵を見奉ること』の原文・現代語訳と解説

このテキストでは、宇治拾遺物語の一節『尼、地蔵を見奉ること』(今は昔、丹後国に老尼ありけり〜)の現代語訳・口語訳とその解説を記しています。

宇治拾遺物語とは

宇治拾遺物語は13世紀前半ごろに成立した説話物語集です。編者は未詳です。





原文(本文)

今は昔、丹後国に老尼ありけり。地蔵菩薩はごとに歩き給ふといふことを、ほのかに聞きて、暁ごとに、地蔵奉らんとて、ひと(※1)世界まどひありくに、博打の打ち呆けていたるが見て、
「尼君は、寒きに(※2)なにわざし給ふぞ。」

といへば、
「地蔵菩薩の暁に歩き給ふなるに、あひ参らせんとて、かくありくなり。」


といへば、
「地蔵の歩かせ給ふみちは、我こそ知りたれば、いざ給へ、あはせ参らせん。」

といへば、
(※3)あはれうれしき事かな。地蔵の歩かせ給はむ所へ、われをおはせよ。」

といへば、
「われに物をさせ給へ。やがて率て奉らん。」

といひければ、
「これ着たる衣、奉らん。」

といへば、
「いざ給へ。」

とて、隣なる所へ率てゆく。



尼喜びていそぎゆくに、そこの子に、地蔵といふ童ありけるを、それが親を知りたりけるによりて
「地蔵は。」

と問ひければ、親
「あそびにいぬいま来なん。」

といへば、
くは、ここなり。地蔵のおはします所は。」

といへば、尼、うれしくて、つむぎの衣を、ぬぎてとらすれば、博打はいそぎてとりていぬ。



尼は、地蔵見参らせんとてたれば、親どもは、心得ず、(※4)などこの童を見むと思ふらんと思ふ程に、十ばかりなる童の来るを、
「くは、地蔵。」

といへば、尼、見るままに是非も知らず臥しまろびて、拝み入りて、土にうつぶしたり。童、(※5)楚(すはえ)もてあそびけるままに、来たりけるが、その楚(すはえ)して、(※6)手すさびのやうに、額をかけば、額より顔の上まで裂けぬ。さけたる中より、えもいはずめでたき地蔵の御顏見え給ふ。尼、拝み入りて、うち見あげたれば、かくてたち給へれば、涙を流して拝み入り参らせて、やがて極楽へ参りけり。

されば心にだにも深く念じつれば、仏も見え給ふなりけると信ずべし。





現代語訳(口語訳)

今となっては昔のことですが、丹後の国に年老いた尼がいました。(この尼は)地蔵菩薩が夜明けごとにお歩きになるということを、かすかに聞いて、夜明けごとに、地蔵を見申し上げようと、辺り一帯をさまよい歩いていると、博打打ちで打ち呆けている者が(歩き回る尼の姿を)見て、

「尼君は、寒いのに何をしていらっしゃるのですか。」

と言うと、(尼は)
「地蔵菩薩が夜明けにお歩きになるので、お会い申し上げようと思い、このように歩いているのです。」

と言うと、(博打打ちが)
「地蔵がお歩きになっている道を、私は知っていますので、さあいらっしゃい、会わせ申し上げましょう。」

と言うので、(尼は)
「あぁ、ありがたい事です。地蔵様のお歩きになる所へ、私を連れていらっしゃってください。」

と言うと、(博打打ちは)
「私に物を手に入れさせて(ほどこしを)ください。ただちにお連れ申し上げましょう。」

と言ったので、(尼は)
「この着ている着物を、差し上げましょう。」

と言うと、(博打打ちは)
「さあいらっしゃい。」

と言って、隣にある所へ(尼を)連れて行きます。

尼は喜んで急いでついて行くと、(行く先の)そこの子に地蔵という(名前の)子がいたのですが、(博打打ちは)その親を知っていことを理由に、
「地蔵は。(いますか)」

と尋ねたところ、(その)親は
「遊びに行っています。すぐに(帰って)来るでしょう。」

と言ったので、(博打打ちが、)
「ほら、ここです。地蔵のいらっしゃる所は。」

と言うと、尼は、嬉しくて、紡ぎの着物を脱いで与えると、博打打ちは急いで受け取って行ってしまいました。

尼が、地蔵を見申し上げようと(その場に)留まっていたので、親たちは理解せず、どうしてこの子どもを見ようと思うのだろうと思ううちに、10歳ぐらいの子どもがやって来たのを(見て親が)
「ほら、地蔵ですよ。」

と言いうと、尼は、見るやいなや我を忘れて、(あまりの嬉しさに)転げまわり、ひたすら拝み込み、地面に身を伏せてしまいました。子どもは、まっすぐ伸びた若枝を持って遊びながら、(帰って)来たのですが、その枝で、手の気の向くままに、額をかいたところ、額から顔の上のあたりまで裂けてしまいました。(すると)裂けた中から、なんとも言いようがないほど立派な地蔵のお顔がお見えになります。尼が、拝見込んで、(地蔵を)見上げると、(地蔵が)このようにしてお立ちになっているので、(尼は)涙を流して拝み込み申し上げて、そのまま極楽へと参上してしまいました。

このようなことがあったので、心に深く念じると、仏も顔を見せてくださったと信じるべきなのです。

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『教科書 精選国語総合』 明治書院
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