『大納言殿参り給ひて』
ここでは、枕草子の中の『大納言殿参り給ひて』の現代語訳と解説をしています。作者は清少納言です。
※清少納言は平安時代中期の作家・歌人です。一条天皇の皇后であった中宮定子に仕えました。そして枕草子は、兼好法師の『徒然草』、鴨長明の『方丈記』と並んで「古典日本三大随筆」と言われています。
原文
大納言殿参り給ひて、文のことなど
奏し給ふに、例の、夜いたくふけぬれば、御前なる人々、一人二人づつ
失せて、御屏風・御几帳のうしろなどにみな
隠れ ふしぬれば、ただ一人、眠たきを
念じて候ふに、
「丑四つ。」
と奏すなり。
「明け侍りぬなり。」
と
独りごつを、大納言殿、
とて、寝べきものとも思いたらぬを、
と思へど、また人のあらばこそは紛れも臥さめ。
上の御前の、柱によりかからせ給ひて、すこし眠らせ給ふを、
「かれ見奉らせ給へ。今は明けぬるに、かう大殿籠るべきかは。」
と申させ給へば、
など宮の御前にも笑ひ
聞こえさせ給ふも、知らせ給はぬほどに、長女が童の、鶏をとらへ持てきて、
と言ひて、隠しおきたりける、いかがしけむ、犬みつけて追ひければ、廊の間木に逃げいりて、
恐ろしう 鳴きののしるに、みな人おきなどしぬなり。上も
うち驚かせ給ひて、
「いかでありつる鶏ぞ。」
など
尋ねさせ給ふに、大納言殿の、
といふことを、高う
うち出だし給へる、めでたうをかしきに、ただ人の眠たかりつる目もいと大きになりぬ。
と、上も宮も興ぜさせ給ふ。なほかかることこそ
めでたけれ。
またの夜は、夜の御殿に参らせ給ひぬ。夜中ばかりに、廊に出でて人よべば、
「下るるか。いで、送らむ。」
とのたまへば、裳、唐衣は屏風にうちかけていくに、月のいみじう明かく、御直衣のいと白う見ゆるに、指貫を長う踏みしだきて、袖を
ひかへて、
「倒るな。」
と言ひて、
おはするままに、
「游子、なほ残りの月に行く。」
と誦し給へる、またいみじうめでたし。
「かやうの事、めで給ふ。」
とては笑ひ給へど、いかでか、なほをかしきものをば。
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