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徒然草『家居のつきづきしく』の現代語訳・文法解説
著作名: 走るメロス
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徒然草『家居のつきづきしく』の原文・現代語訳と解説

このテキストでは、徒然草の一節『家居のつきづきしく』(家居のつきづきしく、あらまほしきこそ〜)の原文、わかりやすい現代語訳・口語訳とその解説を記しています。



徒然草とは

徒然草兼好法師によって書かれたとされる随筆です。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並んで「古典日本三大随筆」と言われています。


原文(本文)

家居のつきづきしくあらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。よきの、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきららかならねど、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子・透垣の頼りをかしくうちある調度むかし覚えやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。







多くの工の、心を尽くし磨きたて、唐の、大和の、珍しくえならぬ調度ども並べおき、前栽の草木まで、心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびしさてもやは長らへ住むべき。また、時の間の煙ともなりなむとぞ、うち見るより思はるる。おほかたは、家居にこそ、ことざま推しはからるれ。







後徳大寺大臣の、寝殿に鳶させじとて縄を張られたりけるを、西行がて、
「鳶のゐたらむは、何かは苦しかるべき。この殿の御心、さばかりにこそ。」

とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしかば、かのためし思ひ出でられ侍りしに、まことや
「烏の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じ悲しませ給ひてなむ。」

と人の語りしこそ、さてはいみじくこそとおぼえしか。大徳寺にも、いかなるゆゑか侍りけむ。





現代語訳(口語訳)

住まいが(住む人に)似つかわしく、好ましいことは、(家が現世における)一時的な住まいとは思うけれど、興味をひかれるものです。身分が高く教養がある人が、ゆったりとくつろいで住んでいる所は、(そこに)差し込んでいる月の光も、いっそう身にしみるように感じられるものです。現代風にきらびやかではないですが、(庭の)木立がどことなく古い感じになっていて、(特に手をかけたようでもない)さりげない庭の草も趣がある様子で、簀の子や、すき間のある垣根の配置も趣深く、さりげなく置いてある道具も古風な感じがして落ち着きがあるのは、奥ゆかしく思われます。





(一方で)多くの職人が、心を込めて磨きあげ、唐のもの、日本のもの、珍しく何とも言えないほどすばらしい道具類を並べておいて、庭に植えた草木まで、自然のままではなく(手を加えて)つくり上げてあるのは、見た目も不快で、たいそう興ざめなものです。(住まいが)そのようなままで、長生きして住むことができましょうか、いやできません。また、(火事があれば)少しの間に(焼けて)煙となってしまうだろうと、ひと目見るやいなや自然と思われます。たいていの場合には、住まいによって、(その家に住む人の)人柄は自然と推察されます。





後徳大寺大臣が、寝殿に鳶がとまらせまいと縄をお張りになられたのですが、(それを)西行が見て、

「鳶がとまっていたとしても、何か不都合なことがありましょうか、いやありません。この(屋敷の)殿のお心は、その程度のものなのです。」


といって、その後は、(屋敷に)参上しなかったと聞きますが、綾小路宮のいらっしゃる小坂殿の屋敷の棟に、いつであったか縄をお引きになったので、その例のことを自然と思い出されたのですが、そういえば確か、

「烏が群がって池の蛙をとったので、(小坂殿はそれを)ご覧になりお悲しみになられたので(烏よけのために縄をお引きになったのです)。」






と人が語ったのは、それならばたいそう素晴らしいことだと思われました。後大徳寺大臣にも、どのような理由があったのでしょうか。

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