土佐日記『羽根』現代語訳をわかりやすく解説
このテキストでは、
土佐日記の一節、「
十一日。暁に舟を出だして、室津を追ふ〜」から始まる箇所の原文、わかりやすい現代語訳・口語訳とその解説を記しています。書籍によってはこの箇所を『
羽根』と題するものもあるります。
土佐日記とは
土佐日記は平安時代に成立した日記文学です。日本の歴史上おそらく最初の日記文学とされています。作者である
紀貫之が、赴任先の土佐から京へと戻る最中の出来事をつづった作品です。
紀貫之とは
紀貫之(きのつらゆき)は、柿本人麻呂や小野小町らとともに
三十六歌仙に数えられた平安前期の歌人です。『
古今和歌集』の撰者、『新撰和歌』(新撰和歌集とも)の編者としても知られています。
原文
十一日。
暁に舟を
出だして、室津を
追ふ。人みなまだ
寝たれば、海のありやうも
見えず。ただ月を
見てぞ、西東をば
知りける。
かかる間に、みな夜
明けて、手洗ひ、例のことどもして、昼になりぬ。
(※1)今し、羽根といふ所に来ぬ。
若き童この所の名を聞きて、
「羽根といふ所は鳥の羽のやうにやある。」
と言ふ。まだ幼き童の言なれば、人々笑ふ時に、ありける女童なん、この歌を
詠める。
まことにて名に聞くところ羽ならば飛ぶがごとくに都へ(※2)もがな
※
歌の解説
とぞ言へる。男も女も、
と思ふ心あれば、この歌
よしとにはあらねど、
「げに。」
と思て、人々忘れず。この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、又昔の人を
思ひ出でて、
いづれの時に
(※4)か忘るる。今日はまして、母の
(※5)悲しがらるることは。
下りし時の人の数足らねば、古歌に、
「数は足らでぞ帰る(※6)べらなる。」
といふ言を思出でて、人の詠める。
と
(※10)言ひつつなむ。
現代語訳(口語訳)
十一日。夜明け前に船を出発させて、室津を目指して行く。人々は皆まだ寝ていたので、(自分だけ起き出すこともできず)海がどういう状態なのかは見えない。ただ月を見て、東西(の方角)を知った。このような間に、すっかり夜が明けて、手を洗い、いつも習慣にしていることをして、昼になった。ちょうど今、羽根というところに来た。幼い子どもがこの場所の名を聞いて
「羽根というところは鳥の羽のような形なのかな。」
と言う。まだ幼い子どもの言葉なので、人々が笑うときに、(その場に)いた女の子が、この歌を詠んだ。
本当に(羽根という)名に聞く場所が(鳥の)羽であるならば、(その羽で)飛んでいくかのように(早く)都に帰りたいなぁ。
と言った。男性も女性も
「どうにかして早く京都へ帰りたい。」
と思う心があるので、(女の子の詠んだ)この歌が
上手だというわけではないのだけれど
「本当に(そのとおりだ)。」
と思い、(この歌のことを)忘れない。この羽根というところについて尋ねる子どもをきっかけに、また昔の人(亡くなった女の子)のことを思い出し、いつ(我が子のことを)忘れるだろうか、いや、忘れはしない。今日は特に、(亡くなった女の子の)母(紀貫之の奥さん)が悲しまれること(はなはだしい)。(京都から土佐に)出向したときの人数が(土佐から京都に戻るときには娘が亡くなったために減ってしまい)足りないので、昔の歌に
「数が足りないで帰るようだ。」
(※古今集に詠まれていた歌を指す)
という(歌があった)ことを思い出して、ある人が詠んだ(歌)。
世の中に思いをはせてみても、子どもを恋い慕う気持ちに勝るような悲しみはないことであるよ。
と言いながら(悲しみにくれるのであった)。
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