蜻蛉日記
また人の文どんあるを見れば
また人の文(ふみ)どんあるを見れば、
「さてのみやはあらんとする」
「日のふるままに、いみじくなん思ひやる」
など、さまざまに問ひたり。
又の日、かへりごとす。
「さてのみやは」
とある人のもとに、
「かくてのみとしも思ひたまへねど、ながむるほどになん、はかなくて過ぎつつ日数ぞつもりにける
かけてだに思ひやはせし山ふかく いりあひのかねにねをそへんとは」
又の日、かへりごとあり。
「ことばかきあふべくもあらず、入相(いりあひ)になん肝くだく心ちする」
とて、
いふよりもきくぞかなしきしきしまの よにふるさとの人やなになり
とあるを、いとあはれにかなしくながむるほどに、宿直(とのゐ)の人、あまたありしなかに、いかなる心あるにかありけん、ここにある人のもとに言ひおこせたるやう、
「いつもおろかに思ひきこえさせざりし御住ひなれど、まかでしよりはいとどめづらかなるさまになん思ひ出できこえさする。いかに御許(おもと)たちもおぼし見たてまつらせ給ふらん。
「いやしきも」
といふなれば、すべてすべてきこえさすべきかたなくなん。
身をすててうきをもしらぬたびだにも 山ぢにふかく思ひこそいれ」
といひたるを、もて出でて読みきかするに、またいといみじ。かばかりのことも、またいとかくおぼゆるときある物なりけり。
「はや、返りごとせよ」
とてあれば、
「をだまきは、かく思ひ知ることもかたきとよと思ひつるを、御前にもいとせきあへぬまでなんおぼしためるを見たてまつるも、ただおしはかり給へ。
思ひいづるときぞかなしきおく山の このした露のいとどしげきに」
となんいふめる。