はじめに
このテキストでは、
徒然草の一節「
をりふし移り変はるこそ」(をりふしの移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ〜)の現代語訳・口語訳とその解説を記しています。2回に渡って書いていますが、このテキストはその1回目です。
※徒然草は
兼好法師によって書かれたとされる随筆です。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並んで「古典日本三大随筆」と言われています。
原文(本文)
をりふしの
移り変はる(※1)こそ、ものごとにあはれなれ。
と、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今
ひときは心も
浮きたつものは、春の気色にこそ
(※2)あめれ。鳥の声なども
ことのほかに春めきて、
のどやかなる日影に、垣根の草
萌えいづるころより、
やや春
ふかく霞わたりて、花も
やうやうけしきだつほどこそあれ、
折りしも雨風
うちつづきて、
心あわたたしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、
よろづにただ心をのみぞ
悩ます。花橘は名にこそ
負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、
いにしへの事も
立ち返り恋しう思ひいでらるる。山吹の
清げに、藤の
おぼつかなきさましたる、すべて、
思ひすてがたきこと多し。
※つづき:
「灌仏のころ、祭りのころ〜」の現代語訳・解説
現代語訳(口語訳)
季節が次第に変わっていく様子は、何ごとにつけても趣を感じる。
「しみじみとした情緒は秋が一番優れている。」
と人は誰もが言うようだが、それはもっともなことだと思うのだが、なおいっそう心もうきうきするものは、春の様子であるようだ。鳥の鳴き声などとりわけ春めいて、穏やかな日差しによって、垣根の草が芽ぐむころから、しだいに春も深まり一面に霞がかかって、桜の花もだんだんと咲き出しそうになるころではあるが、ちょうどそのとき雨や風が切れ目なく続いて、気ぜわしく散っていってしまう。(その桜の木が)青葉になるまで、何かにつけてひたすら心ばかりを苦しめるのである。橘の花は(昔のことを恋しく思わせることで)有名であるが、やはり、梅の香によって、昔のことも立ち返って恋しく思いだされる。山吹(の花)がさっぱりとしてきれいに(咲き)、藤(の花)がぼんやりとはっきりしない様子が、すべて、見捨てにくいことである。
※つづき:
「灌仏のころ、祭りのころ〜」の現代語訳・解説
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