キリスト教の成立で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
キリスト教の成立
・キリスト教成立以前、紀元前
5世紀に成立したヘブライ人の
ユダヤ教が主な宗教であった。ユダヤ教は一神教で、
選民思想、契約・戒律主義、メシア信仰などの終末思想などが特徴である。メシアとは
救世主のことで、「最後の審判」の際に信者を救済する人物のことである。
・ナザレ出身の
イエス(紀元前7頃/4頃〜30頃)がメシアを自覚し、選民思想や戒律主義を極端に重視するユダヤ教
パリサイ派と対立するようになった。イエスは神による絶対愛と隣人愛を説き、
ペテロやヤコブ、ヨハネら12人の使徒を持ったが、弟子の一人ユダの裏切りにより、ローマ総督ピラトに引き渡され、十字架の刑で処刑された。伝説では後に復活し、その教えがさまざまな地域に広まった。
・キリストとは、メシアの
ギリシア語訳で、「膏をそそがれた者」の意味。古くよりイスラエルにおいては、預言者、祭司、王などの就任に際して膏を塗る習慣があったため、ナザレのイエスはイエス=キリストと呼ばれるようになる。
・イエスを処刑したポンティウス=ピラトゥスは当時ローマ帝国の領土だったユダヤの総督で、イエス処刑の際のローマ皇帝は、第2代
ティベリウスである。
キリスト教の迫害と経典の成立
・イエスの12使徒の中でも、ガリラヤ湖の漁師出身の
ペテロ、パリサイ派のユダヤ教徒から回心した
パウロなどが重要な使徒であった。この2人はその後ネロ帝の迫害を受け殉教し、
ペテロはのちに初代ローマ教皇となり、
パウロの「信仰によってのみ義とされる」という神学は、その後教父
アウグスティヌスや
ルターの
宗教改革に大きな影響を及ぼした。
・一神教であるキリスト教は、次第にローマ帝国内に広がっていくが、
アウグストゥス以降はじまった
皇帝崇拝と相容れなかったため、これを拒否するキリスト教徒は時代ごとに迫害された。ローマ大火の責任をキリスト教徒に負わせた
ネロ帝の迫害(
64年)、ローマの伝統神と皇帝崇拝を強化しようとした
ディオクレティアヌス帝の大迫害(
303年)など、キリスト教徒に対する弾圧は続いた。
・初期キリスト教徒はこうした迫害を逃れるため、
カタコンベという地下墓地で礼拝をおこなった。
2〜4世紀にかけて、キリスト教の経典として『
新約聖書』が成立した。『新約聖書』はヘレニズム世界で使われた
コイネーで書かれ、イエスの言行を記録したマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネによる
福音書と、ペテロ・パウロの伝道を記録した
使徒行伝が含まれる。これ以降『
旧約聖書』、『
新約聖書』はともにキリスト教の経典となった。
キリスト教の発展
・
コンスタンティヌス帝の治世になると、
313年に
ミラノ勅令が出され、キリスト教信仰がローマ帝国内で公認された。
コンスタンティヌス帝はその後対立していたリキニウス帝を破り、4分割されていたローマ帝国を再び統一する。こうしてキリスト教は皇帝権と結びつき、地位を確立していった。
・コンスタンティヌス帝は
325年に
ニケーア公会議を開催し、当時まだ確立していなかった教義を決定した。この会議により、イエスに人性を強く認める
アリウス派が異端となり、イエスの神性を認め
三位一体説を唱える
アタナシウス派が正統教義となった。ローマ帝国を追放されたアリウス派はその後
ゲルマン民族に伝道された。
・キリスト教初期の時代、キリスト教会に承認された
教父という著作家が活躍し、キリスト教教義の確立に重要な役割を果たした。キリスト教最初の教父が
エウセビオスで、使徒の時代から323年までを記した『
教会史』、旧約の時代から303年までを記した『
年代記』を残した。また、皇帝位は神から授かったものであるという
神寵帝理念を定式化し、後のビザンツ帝国やその後の
王権神授説の根拠とされた。
・キリスト教は背教者
ユリアヌス帝の迫害を受けつつも信者が増加し、
テオドシウス帝により380年キリスト教信仰が強制され、
392年に他の宗教がローマ帝国内で禁止となり正式に
国教となった。
・ローマ帝国末期には
マニ教に影響を受けた最大の教父
アウグスティヌスが現れ、『
神の国』、『
告白録』などを著した。アウグスティヌスの思想は、その後中世
スコラ哲学に大きな影響を与えた。
・
431年には、皇帝テオドシウス2世により
エフェソス公会議が開かれ、
ネストリウス派を異端として追放した。
ネストリウス派はその後
ササン朝に伝道し、
唐代の中国に伝わり
景教と呼ばれた。
・
451年には、皇帝マルキアヌスにより
カルケドン公会議が開かれ、
単性論派が異端となり追放された。
教義 | 内容 |
アタナシウス派 | ニケーア公会議(325年)で正当教義となる。神・イエス・聖霊の3者を等質で不可分としイエスの神性を強く認める。 |
アリウス派 | ニケーア公会議(325年)で異端とされる。イエスの人性を強く認める。追放後ゲルマン人に伝道。 |
ネストリウス派 | エフェソス公会議(431年)で異端とされる。イエスの神性と人性を分離した説を主張。追放後ササン朝や唐(景教)に伝道。 |
単性論派 | カルケドン公会議(451年)で異端とされる。イエスに神性のみを認める。追放後エジプトにコプト教会などを建てる。 |