徒然草『をりふしの移り変わるこそ』後半の原文・現代語訳と解説
このテキスト、
徒然草の一節「
をりふし移り変はること」の「灌仏のころ、祭りのころ、若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ〜」から始まる部分の現代語訳・口語訳とその解説を記して。少し長いので2回にわたっていますが、今回はその2回目です。
前回のテキスト
「をりふしの移り変わるこそ〜」の現代語訳と解説
原文
「
(※1)灌仏のころ、
(※2)祭りのころ、若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさも
まされ。」
と人の
仰せられしこそ
(※3)げにさるものなれ。
五月、
あやめふくころ、早苗取るころ、水鶏のたたくなど
(※4)心細からぬかは。六月のころ、
(※5)あやしき家に夕顔の白く
見えて、蚊遣火
ふすぶるも
あはれなり。
(※6)六月祓、また
をかし。
七夕まつるこそ
なまめかしけれ。
やうやう夜寒になるほど、雁鳴きて来るころ、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、
取り集めたることは秋のみぞ
多かる。また、
野分の
朝こそ
をかしけれ。
言ひ続くれば、みな源氏物語・枕草子などに
ことふりにたれど、おなじこと、また、
今さらに言はじとにもあらず。
おぼしきこと言はぬは
腹ふくるるわざなれば、筆に
まかせつつ、
あぢきなきすさびにて、
かつ破り捨つべきものなれば、人の
見るべきにもあらず。
現代語訳
「灌仏のころ、祭りをするころ、桜の若葉の梢が涼しげに生い茂っていく頃こそ、世の中の情趣も、人の恋しさも強まる。」
とある人がおっしゃったが、本当にその通りである。
五月、(端午の節句に)菖蒲(しようぶ)を家の軒先に挿して飾るころ、早苗を取るころ、水鳥が(戸をたたくような音を)たてて鳴くころなどは、寂しくないことがあろうか、いや、寂しいものだ。六月の頃に、みすぼらしい家に夕顔が白く(咲いているのが)見えて、蚊を追い払うための火がくすぶっているのも趣がある。六月祓も、また趣がある。
七夕をまつることは、優雅である。だんだんと夜が寒く感じられる時期になる頃、雁が鳴きながらやってくる頃、萩の下の方にある葉が赤く色づく頃、早稲の稲を刈り取って干しているなど、(いろいろと趣のあることを)集めているのは秋が特に多い。また、台風の(過ぎ去った)翌朝(のありさま)は趣がある。
言い続けていると、みな源氏物語や枕草子などで言い古されているのだけれども、同じことを、また、いまさら言うまいと思っているのでもない。こうあって欲しいと思うことを口にしないのは(お腹が膨れるような)気持ちが悪いことなので、(この文章は)筆の(勢い)にまかせながら(書いた)、つまらない気慰みで、(書いては)すぐに破り捨てるべきものだから、人が見るようなものでもない。
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