『絵仏師良秀』(これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり)原文・現代語訳と解説
このテキストでは、
宇治拾遺物語の一節『
絵仏師良秀』の現代語訳・口語訳とその解説を記しています。書籍によっては、内容が異なったり、タイトルが「
絵仏師の執心」などと題されている場合があります。ちなみにこの一節は、芥川龍之介の「地獄変」のモデルとなったとも言われています。
宇治拾遺物語とは
宇治拾遺物語は13世紀前半ごろに成立した説話物語集です。編者は未詳です。
原文(本文)
これも今は昔、絵仏師良秀といふ
ありけり。家の隣より火
出で来て、風
おしおほひて
せめければ、逃げ出でて大路へ
出でにけり。人の書かする仏も
おはしけり。また、衣
着ぬ妻子なども、
さながら内にありけり。それも
知らず、ただ逃げ出でたるをことにして、向かひのつらに立てり。
見れば、
すでにわが家に移りて、けぶり・炎
くゆりけるまで、
おほかた、向かひのつらに立ちて
ながめければ、
とて、人ども来
とぶらひけれど、
騒がず。
と人言ひければ、向かひに立ちて、家の
焼くるを見て、うちうなづきて、ときどき
笑ひけり。
と言ふ時に、
とぶらひに来たる者ども、
「こはいかに、
かくては立ちたまへるぞ。
あさましきことかな。もののつきたまへるか。」
と言ひければ、
「
(※2)なんでふもののつくべきぞ。年ごろ不動尊の火炎を
あしく書きけるなり。今見れば、かうこそ
燃えけれと、
心得つるなり。これこそせうとくよ。この道を立てて世に
(※3)あらむには、仏
だによく書きたてまつらば、百千の家もいできなん。
わたうたちこそ、させる能もおはせねば、ものをも
惜しみたまへ。」
と言ひて、
あざ笑ひてこそ立てりけれ。
そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々愛で合へり。
現代語訳(口語訳)
これも今となっては昔の話ですが、絵仏師良秀という者がいました。家の隣から火事が起こって、(その火に)風がおおいかぶさるように吹いて(火が)迫ってきたので、(良秀は)逃げ出して、大通りに出ました。(家の中には、)人が(依頼して)描かせている仏様もいらっしゃいました。また衣服を着ていない(良秀の)妻や子なども、そのまま家の中にいました。(良秀は)それを認識することなく、ただ(自分が)逃げ出したことをよしとして、(家の)向かいの側に立っていました。
見ると、すでに自分の家に(火が)燃え移り、煙や火が立ち上ったときまで、おおよそ、(家の)向かいに立って眺めていたので、
「大変なことですね。」
と言って、人々が見舞いに来ますが、(良秀は)動じません。
「どうしたのか。」
と(ある)人が言ったところ、(良秀は燃え上がる家の)向かいに立って、家が焼けるのを見て、小さくうなずいて、時々笑っていました。
「ああ、もうけものをしたことよ。長い間(私は仏の絵の炎を)下手に描いてきたものだよ。」
と(良秀が)言うので、見舞いに来ていた人々が、
「これはどうして、このようにしてお立ちになっているのですか。驚きあきれたことだよ。霊が取り付いていらっしゃるのですか。」
と言ったところ、(これを聞いた良秀は、)
「どうして霊がとりつくことがあろうか。(いや、ない)。長い間、不動尊の(背景の)炎を下手に描いていたのだ。今見ると、(火は)このように燃えるのだったなあと納得したのだ。これこそもうけものだよ。この道(絵を描く職業)で生きていくならば、仏様さえうまく描き申し上げていれば、100軒1000軒の家もきっと建つだろうよ。お前たちこそ、これといった才能もお持ちでないから、物を惜しみなさるのだ。」
と言って、馬鹿にして笑って立っていました。
その後のことでしょうが、良秀のよじり不動として、今でも人々が(彼の絵を)称賛し合っていまる(ということです)。
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