奥の細道『大垣』
このテキストでは、
松尾芭蕉の書いた
奥の細道の中の「
大垣」(露通もこの港まで出で迎ひて〜)の現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
おくのほそ道では、松尾芭蕉が江戸を出発して東北を回り、北陸を通って岐阜県の大垣に至るまでの旅が書かれています。大垣には、芭蕉の帰りを待つ門人たちが集まっています。また旅の途中で分かれた弟子の曾良とも再会をします。
原文
(※1)露通もこの港まで
出で迎ひて、美濃国へと
伴ふ。
(※2)駒に助けられて大垣の庄に入れば、
(※3)曾良も伊勢より来たり合ひ、
(※4)越人も馬を飛ばせて、
(※5)如行が家に入り集まる。
(※6)前川子、
(※7)荊口父子、その外
親しき人々、日夜
訪ひて、蘇生の者に会ふがごとく、
かつ喜びかつ
いたはる。旅の
(※8)ものうさもいまだ
やまざるに、
(※9)長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて
(※10)蛤の(※11)ふたみに別れ(※12)行く秋ぞ
現代語訳
露通もこの港まで出迎え(にきており)、美濃へと一緒に行く。馬に支えれて大垣の荘園に入ると、曾良も伊勢から来て合流し、越人も馬を飛ばして、如行の家に集合する。前川子や荊口の親子、そのほかの仲の良い人たちも、日夜訪れてきて、まるで生き返った人に会うかのように、一方では喜び一方ではねぎらってくれる。旅の(疲れからくる)心の重さもまだ治まらないうちに、9月6日になったので、伊勢の神宮を拝もうと、また船に乗って(出かけるときに詠んだ歌)
はまぐりのフタと身がわかれるように、親しい人たちと別れて二見に向かう。秋も過ぎようとしている
品詞分解
※品詞分解:
奥の細道『大垣』の品詞分解
単語・解説
(※1)露通 | 八十村路通(やそむらろつう)。松尾芭蕉の弟子 |
(※2)駒 | 馬 |
(※3)曾良 | 河合曾良。松尾芭蕉の弟子。奥の細道における奥州・北陸の旅に同行した |
(※4)越人 | 越智越人。松尾芭蕉の弟子 |
(※5)如行 | 近藤如行。松尾芭蕉の弟子 |
(※6)前川子 | 津田前川。松尾芭蕉の弟子 |
(※7)荊口 | 宮崎荊口。松尾芭蕉の弟子。親子で芭蕉を迎えた |
(※8)ものうさ | 心の重さ、おっくうな感じ |
(※9)長月 | ながつき。9月を指す |
(※10)蛤 | 伊勢神宮のある三重県は"はまぐり"が名産 |
(※11)ふたみ | 蛤の"ふた"と"身"、そして地名の"二見"をかけている |
(※12)行く | 「別れ行く」と「行く秋」にかかっている。「行く秋」は、おくのほそ道の冒頭で詠んだ句「行く春や鳥なき魚の目は涙」と呼応している。 |