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18_80 ヨーロッパ世界の形成と変動 / 西ヨーロッパ世界の成立

ヘースティングズの戦いとは わかりやすい世界史用語1431

著者名: ピアソラ
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ヘースティングズの戦いとは

1066年に起こったヘースティングズの戦いは、イングランドの歴史において非常に重要な出来事であり、ノルマン人のイングランド支配の始まりを告げるものでした。この戦いは、イングランド王ハロルド2世とノルマンディー公ウィリアム(後のウィリアム征服王)との間で行われ、その結果はイングランドの王位を巡る運命を決定づけただけでなく、文化的および政治的な大きな変化をもたらしました。

戦いの背景には、1066年にエドワード懺悔王が亡くなり、後継者を巡る争いがありました。エドワードには明確な後継者がいなかったため、複数の人物が王位を主張しました。最終的に、強力な貴族であったウェセックス伯ハロルド・ゴドウィンソンが即位しましたが、ウィリアムはエドワードが自分に王位を譲ると約束したと主張し、ハロルドもこれに同意する誓いを立てたとしています。こうして、両者の対立は戦争へと発展していきました。

ウィリアムは9月28日にペヴェンジーに上陸し、ノルマン軍、ブルトン軍、他の同盟軍を合わせた7,000~12,000人の兵士を率いていました。彼の軍には騎兵や弓兵が含まれており、主に歩兵からなるハロルドの軍に対して戦術的な優位がありました。

ハロルドは9月25日にスタンフォード・ブリッジでノルウェーのハラルド・ハードラーダとの戦いに勝利したばかりであり、この戦闘で彼の軍は疲弊し、兵力も減少していました。それにもかかわらず、ウィリアムの上陸を知ったハロルドは南へ進軍し、7,000人の兵を率いてノルマン軍と対峙しました。

10月14日の朝、両軍はヘースティングズの近くで戦いを開始しました。ハロルドはセンラック・ヒル(現在のバトル)に軍を配置し、重なり合う盾で防御線を形成する「盾の壁」という戦術を用いました。この陣形は騎兵の突撃を防ぐことを目的としていました。一方、ウィリアムは軍を三列に配置し、弓兵、歩兵、騎兵を順に配置して、イングランド軍の防御を崩そうとしました。

戦闘は午前9時頃から日没まで続き、最初はハロルドの軍がウィリアムの攻撃を防いでいましたが、ノルマン軍の一部が退却を装うことでイングランド兵の陣形が崩れ、追撃に出た兵をウィリアムが反撃することで戦局が変わりました。

戦いが進む中でハロルドの兄弟であるギルスとレオフワインが戦死し、ハロルド自身も命を落としました。伝説によれば、彼は矢で目を射抜かれたと言われています。指導者を失ったイングランド軍は士気を失い、戦場から退却しました。

この戦いの結果、ウィリアムは勝利を収め、1066年のクリスマスにイングランド王として戴冠しました。ノルマン征服は、イングランドの社会構造に大きな変革をもたらし、土地の所有形態が変わり、封建制度が導入されました。また、ノルマン人の影響により英語も変化を遂げました。バイユーのタペストリーは、これらの出来事を描いた貴重な歴史的遺物として知られています。
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・ヘースティングズの戦いとは わかりやすい世界史用語1431

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『世界史B 用語集』 山川出版社

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