徒然草『神無月のころ』原文・現代語訳と解説
このテキストでは、
徒然草の一節「
神無月のころ」(
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに〜)の原文、現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
徒然草とは
徒然草は
兼好法師によって書かれたとされる随筆です。
清少納言の『
枕草子』、
鴨長明の『
方丈記』と並んで「
古典日本三大随筆」と言われています。
原文
神無月のころ、栗栖野といふ所を
過ぎて、ある山里に
たづね入ること
(※1)はべりしに、
はるかなる苔の細道を踏み分けて、
心細く住みなしたる庵あり。木の葉に
埋(うづ)もるる懸樋のしづくならでは、
(※2)つゆおとなふものなし。
(※3)閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、
さすがに住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよと、
あはれに見るほどに、かなたの庭に、
大きなる柑子の木の、枝も
たわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少し
ことさめて、この木なから
(※4)ましかばとおぼえしか。
現代語訳
10月ごろに、栗栖野という所を通り過ぎて、とある山里に(人を)訪ねて分け入ることがあったのですが、遠くまで続いている苔の細道を踏み分けて(行くと)、わざわざもの寂しい状態にして住んでいる草庵があります。木の葉で覆われて見えなくなっている懸樋のしづく(水がしたたり落ちる音)以外には、まったく音を立てるものがありません。閼伽棚に菊の花や紅葉が折って(辺りに)散らばせているのは、そうはいってもやはり住む人がいるからなのでしょう。
こんな様子でも(住んで)いることができるのだなぁと、しみじみと思っていると、向こうの庭に、大きな柑子(みかん)の木で、枝がしなうほど(実が)なっているのですが、(木の)周りを頑丈に囲ってあったのは、少し興ざめして、この木がなければよかったのにと思いました。
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