平家物語『木曽の最期・中編』の原文・あらすじと現代語訳を徹底解説!
このテキストでは、
平家物語の一節、「
木曽の最期」(
今井四郎、木曽殿、主従二騎になってのたまひけるは~)の原文、わかりやすい現代語訳・口語訳とその解説を記しています。本文のあらすじを知りたい人は、次ページ「
本文をあらすじにまとめました」を参照してください。
前回のテキスト
「木曾左馬頭、その日の装束には~」の現代語訳
平家物語とは
※「
祇園精舎の鐘の声〜」で始まる一節で広く知られている
平家物語は、鎌倉時代に成立したとされる軍記物語です。平家の盛者必衰、武士の台頭などが描かれています。
ここまでのあらすじ
1184年に起こった「
粟津の戦い」の話です。1180年、以仁王(もちひとおう:後白河法皇の子)の呼びかけに応じて、平氏を討つために源氏が立ち上がります。そのうちの一人が源義仲(木曽義仲)でした。入京した源義仲でしたが、後白河法皇の信頼を失ったために京都から追われ、源範頼・源義経率いる鎌倉軍と戦うこととなりました。源義仲軍は敗れて京都から逃げていき、ついに残った者は源義仲と今井四郎の主従二騎だけとなりました。
原文
今井四郎、木曾殿、主従二騎に
(※1)なつて、
のたまひけるは、
「
日ごろは何とも
覚えぬ鎧が、今日は
(※2)重う(※3)なつたるぞや。」
今井四郎申しけるは、
「御身も
いまだ疲れさせたまはず。御馬も弱り候はず。何に
(※4)よつてか一領の御着背長を重うは
思し召し候ふべき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそ、さは思し召し候へ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎と思し召せ。矢七つ八つ候へば、
しばらく防き矢
仕らん。あれに
見え候ふ、粟津の松原と申す。あの松の中で御自害候へ。」
とて、
(※5)打つて行くほどに、また新手の武者五十騎ばかり
出で来たり。
「君はあの松原へ入らせたまへ。兼平はこの敵防き候はん。」
と申しければ、木曾殿のたまひけるは、
「義仲、都にて
いかにもなるべかりつるが、これまで
逃れ来るは、汝と
一所で
死なんと思ふためなり。
所々で討たれんよりも、一所でこそ討死をもせめ。」
とて、馬の鼻を並べて駆けんとしたまへば、今井四郎、馬より飛び降り、主の馬の口に
取りついて申しけるは、
「
弓矢取りは、
年ごろ日ごろいかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、
長き疵にて候ふなり。御身は
疲れさせたまひて候ふ。
続く勢は候はず。敵に押し隔てられ、
言ふかひなき人の郎等に組み落とされさせたまひて、討たれさせたまひなば、
『
さばかり日本国に
聞こえさせたまひつる木曾殿をば、それがしが郎等の討ちたてまつたる。』
なんど申さんことこそ
(※6)口惜しう候へ。ただあの松原へ入らせたまへ。」
と申しければ、木曾、
とて、粟津の松原へぞ駆けたまふ。
※つづき:
平家物語『木曽の最期(今井四郎只一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り~)』現代語訳と解説
現代語訳
今井四郎、木曽殿、主人と従者(合わせて)2騎になって、(木曾殿)おっしゃったことには、
「普段はなんとも感じない鎧が、今日は重くなったことだよ。」と。
今井四郎が申し上げることには
「お体もまだお疲れになっておりません。馬も弱ってはおりません。何のために一領の鎧を重たいとお感じになるのですか。それは味方に軍勢がございませんので、臆病に、そのようにお思いになるのです。兼平(今井四郎)一人でありましても、他の武者千騎(にあたる)とお思いください。矢が7本8本ございますので、少しの間防ぎ矢を致しましょう。あそこに見えますのは粟津の松原と申します。あの松林の中で自害ください。」
と言って(馬に鞭を)打って行くと、また新手の武者が五十騎ほど現れた。
「殿はあの松原へお入りください。兼平はこの敵を防ぎましょう。」
と申したところ、木曽殿がおっしゃることには、
「義仲は、都でどのようにでもなるつもりであったが、ここまで逃げてきたのは、お前と同じ場所で死のうと思ったからだ。あちらこちらで討たれるよりも、同じ場所で討ち死にをしようではないか。」
といって、(今井四郎の乗った馬と自分の)馬の鼻先を並べて駆けようとなさったので、今井四郎は、馬から飛び降り、主君(木曾殿)の馬の口に取りすがって申したことには、
「武士は、常日頃どれほどの高名がございましょうと、死に際に失敗してしまうと、長く不名誉となるのでございます。お体はお疲れでございます。後ろに従う軍勢はございません。敵に押し離されて、取るに足らない(身分の低い)人の家来に組合い(馬から)落とされなさって、お討たれになられたならば、
『非常に日本国に評判が高くていらっしゃる木曽殿を、私の家来がお討ちになった。』
などと申すであろうことこそ、残念でございます。すぐにあの松原の中にお入りください。」
と申したので、木曽殿は、
「そのよう(に言うの)なら。」
と言って、粟津の松原へ馬に乗ってお走りになる。
※つづき:
平家物語『木曽の最期(今井四郎只一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り~)』現代語訳と解説
■次ページ:本文をあらすじにまとめました・品詞分解・単語・テストに出題されそうな問題