『名を聞くより』
このテキストでは、
徒然草の一節『
名を聞くより』(名を聞くより、やがて面影は推し量らるる心地するを〜)の原文、現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
徒然草とは
徒然草は
兼好法師によって書かれたとされる随筆です。
清少納言の『
枕草子』、
鴨長明の『
方丈記』と並んで「
古典日本三大随筆」と言われています。
読む前に知っておきたい
この話で筆者は、2つのメッセージを発信しています。1つは、「イメージしていたものと実際に会ったのとでは違うことがよくある」、そしてもう1つは、「今人がしゃべっていること、目に見えている物、自分の心の中で思うことは、初めてのはずなのに、デジャブのように、昔こんな光景があった気がするなぁと思ってしまうことが多々ある」です。そのことを念頭に読んでみましょう。
原文
名を
聞く(※1)より、
やがて面影は
(※2)推し量らるる心地するを、
見る時は、また、
かねて思ひつるままの顔したる人
(※3)こそなけれ。昔物語を聞きても、この比(ごろ)の人の家のそこほどにて
(※4)ぞありけんと
覚え、人も、今見る人の中に
(※5)思ひよそへらるるは、誰もかく覚ゆる
(※6)にや。
また、
如何なる折ぞ、
ただ今、人の言ふ事も、目に
見ゆる物も、我が心のうちも、
かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは
思ひ出でねども、
まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
現代語訳
名前を聞くやいなや、ただちに(その人の)顔つきは自然と推察されるような気がするが、(実際に)会うときは、同じように、前もって想像していたままの顔をしている人はいないものだ。昔の物語を聞いても、(物語の舞台となった場所は)現在のあの人の家のそこらあたりであっただろうと思われ、(その物語に登場する)人も、現在会う人の中(の誰か)に自然となぞらえて思われるのは、(私ばかりではなく)誰もこのように思われるのであろうか。
また、どのようなときであったか、今、人が言うことも、目に見える物も、自分の心の中で思っていることも、このようなことはいつだったかあった気がするなと思えて、(それが)いつとは思い出せないが、間違いなくあった気がするのは、私だけがこう思うのであろうか。
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