百人一首(18)藤原敏行朝臣/歌の意味と読み、現代語訳、単語、品詞分解、覚え方
住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ
このテキストでは、
(小倉)百人一首に収録されている歌「
住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」のわかりやすい現代語訳・口語訳と解説(掛詞・序詞、句切れの有無など)、歌が詠まれた背景や意味、そして品詞分解を記しています。この歌は、百人一首の他に、『
古今和歌集』にも収録されています。
百人一首とは
百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・
藤原定家が選んだ和歌集です。100人の歌人の和歌を、1人につき1首ずつ選んで作られています。百人一首と言われれば一般的にこの和歌集のことを指し、
小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)とも呼ばれます。
暗記に役立つ百人一首一覧
以下のテキストでは、暗記に役立つよう、それぞれの歌に番号、詠み手、ひらがなでの読み方、そして現代語訳・口語訳を記載し、歌番号順に一覧にしています。
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暗記に役立つ百人一首一覧
原文
(※1)住の江の 岸に寄る波 (※2)よるさへ(※3)や (※4)夢の通ひ路 人目よくらむ
ひらがなでの読み方
すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ
現代語訳
住の江の岸に寄る波ではないですが、(人目が気になる昼間はやむを得ないとして)夜までも、夢の中で(私のもとに)通う路であっても、どうして(あなたは)人目を避けているのだろうか。
解説・鑑賞のしかた
この歌の詠み手は、平安時代の貴族で
三十六歌仙の一人、
藤原敏行(ふじわら の としゆき)です。百人一首には、
藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)と表記されます。
平安時代の人々にとって「夢」は特別な場所でした。自分のことを想ってくれている人が夢に出てくる、魂が「夢の通い路」をたどって相手に逢いに行くと考えられていたのです。想い人が夢に出てきたという話は、和歌にもよく詠まれている題材です。例えば、恋多き女性として知られる
小野小町も、次のような歌を詠んでいます。
【
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを】
平安時代の恋愛や結婚は、男性が女性のもとを訪れる
通い婚というスタイルが一般的でした。そのため、恋愛関係が解消すると、女性のもとに男性は通ってこなくなります。常に男性の訪問を待つ立場であった当時の女性の気持ちは、人を好きになった経験のある人であれば察することができるでしょう。「私の想い人は、人目のある昼間に会えないことはしょうがないとしても、最近夢にすらでてきてくれない。ひょっとして嫌われてしまったのかしら。」そのような切ない思いを詠んだ歌といえます。ちなみに藤原敏行朝臣は男性ですので、女性の気持ちを代弁したものなのか、それともこの歌の主語が藤原敏行だったのかは解釈がわかれるところです。
主な技法・単語・文法解説
■単語
(※1)住の江 | 現在の大阪市住吉区付近の入り江。松の名所であることから、「住の江の」は「まつ」にかかる枕詞。 |
(※4)夢の通ひ路 | 夢路とも。夢の中でたどる道、夢の中 |
■(※2)掛詞
「
掛詞」とは、ひとつの言葉に2つ以上の意味を重ねて表現内容を豊かにする技法のこと。この歌では「よる」が、「夜」と「寄る」の掛詞となっている。
■(※3)係り結び
や~人目よくらむ | 係り結び。疑問の係助詞「や」~現在推量の助動詞「らむ」の連体形 |
■序詞
第二句「住の江の 岸に寄る波」までが、「よる」を導く序詞。
■句切れ
句切れなし。
品詞分解
※名詞は省略しています。
住の江 | ー |
の | 格助詞 |
岸 | ー |
に | 格助詞 |
寄る | ラ行四段活用「よる」の連体形 |
波 | ー |
よる | ラ行四段活用「寄る」または「夜」 |
さへ | 添加「そのうえ~までも」を表す副助詞 |
や | 疑問の係助詞 |
夢 | ー |
の | 格助詞 |
通ひ路 | ー |
人目 | ー |
よく | カ行上二段活用「よく」の終止形 |
らむ | 現在推量の助動詞「らむ」の連体形 |
著者情報:走るメロスはこんな人
学生時代より古典の魅力に取り憑かれ、社会人になった今でも休日には古典を読み漁ける古典好き。特に1000年以上前の文化や風俗をうかがい知ることができる平安時代文学がお気に入り。作成したテキストの総ページビュー数は1,6億回を超える。好きなフレーズは「頃は二月(にうゎんがつ)」や「月日は百代の過客(くゎかく)にして」といった癖のあるやつ。早稲田大学卒業。