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17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 江戸時代

【元禄文化】 受験日本史まとめ 43

著者名: Cogito
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儒学の発展

江戸幕府は、民を支配する大きな柱として、儒学を積極的に取り入れました。この時代、儒学は大きく分けて3つの学派がありました。
朱子学は、封建社会維持のための教学として徳川幕府に歓迎され、各地に広がりました。徳川家康に登用された林羅山が祖で、その孫の林鳳岡(信篤)は徳川綱吉により大学頭に任命され、湯島聖堂の側に家塾を移し、以後林家は幕府の文教政策を主導しました。元禄・享保の時代に朱子学は全盛期となり、木下順庵新井白石・室鳩巣・雨森芳洲などの木門十哲を出しました。また、南村梅軒が開いた朱子学の一派南学(海南学派)からは、山崎闇斎・野中兼山がでました。山崎闇斎の一派は崎門学派と呼ばれ、のちに神秘主義となり垂加神道を説きました。また福岡藩士の貝原益軒のように、どの派にも属さない朱子学者もおり、彼は『和俗童子訓』『養生訓』を著しました。

陽明学は、明朝の王陽明が創始したもので、初めて朱子学を学んだ中江藤樹や門人の熊沢蕃山らが取り入れ、日本で広めました。陽明学は現実批判と知行合一の精神を特徴とする学問で、熊沢蕃山はこれを岡山藩の藩制確立に用いました。しかし、熊沢蕃山は著書の『大学或問』で幕政を批判したとして咎めを受け、会津藩や熊本藩では、その革新性から陽明学者は弾圧されました。

古学は、宋代・明代に成立した朱子学・陽明学ではなく、孔子・孟子の時代の儒学の古典に立ち戻ろうとする学派で、日本で創始された儒学でした。兵学者の山鹿素行が『聖教要録』で朱子学を批判し、これを幕府は快く思わず、山鹿素行を赤穂に流しました。京都の堀川に私塾を開いた伊藤仁斎や子の伊藤東涯は堀川学派を創始しました。伊藤仁斎の古学に啓発された江戸の荻生徂徠は、柳沢吉保に仕えたあと将軍徳川吉宗の諮問にこたえて『政談』を著し、荻生徂徠の学派は古文辞学・蘐園学とも呼ばれ、門下の太宰春台は経世論継承し『経済学』を著し、詩文は服部南郭が継承しました。

その他の学問

儒学が発達するにつれ、合理的な思想が他の学問にも影響していきました。歴史学では史料に基づく実証的な姿勢が重視されるようになり、林羅山・鷲峰の『本朝通鑑』や、徳川光圀の『大日本史』、新井白石の『読史余論』などが書かれました。自然科学では、本草学(博物学)や農学・医学などが発達し、貝原益軒の『大和本草』、稲生若水の『庶物類纂』、宮崎安貞の『農業全書』などが有名です。計算の和算の分野では、吉田光由の『塵劫記』や関孝和が研究を進めました。天文・暦学では、渋川春海(安井算哲)が貞享暦を作り、平安から続いた宣明暦に代わり使われるようになりました。国文学では、下河辺長流や戸田茂睡が歌学を研究し、僧の契沖は『万葉代匠記』を著しました。また北村季吟は『源氏物語』の注釈書の『湖月抄』や『枕草子』の注釈書の『春曙抄』を著しました。

大日本史水戸光圀
大学或問熊沢蕃山
聖教要録山鹿素行
武家事紀山鹿素行
中朝事実山鹿素行
本朝通鑑林羅山・鵞峰
読史余論新井白石
折たく柴の記新井白石
古史通新井白石
藩翰譜新井白石
政談荻生徂徠
経済録太宰春台
経済録拾遺太宰春台
万葉代匠記契沖
源氏物語湖月抄北村季吟
農業全書宮崎安貞
農具便利論(19c)大倉永常
広益国産考(19c)大倉永常
大和本草貝原益軒
庶物類纂稲生若水
塵劫記吉田光由
発微算法関孝和
貞享暦渋川春海

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『詳説日本史』 山川出版社
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