吐蕃とは
吐蕃は、7世紀から9世紀にかけて存在した強大な帝国で、チベット高原を中心に広がっていました。この帝国は、ヤルルン王朝の33代目の王、ソンツェン=ガンポによる統一の結果として形成されました。
吐蕃の成立と拡大
吐蕃の歴史は、ヤルルン王朝の成立に遡ります。ヤルルン王朝は紀元前127年にヤルルン渓谷で成立し、ラサの南に位置するヤルルン川沿いにありました。33代目の王、ソンツェン=ガンポの治世において、ヤルルンの首都はユンブリンカ宮殿からラサに移され、帝国時代には赤い砦(ポタラ宮殿)に移されました。
ソンツェン=ガンポの治世(在位629年 - 649年)は、吐蕃の帝国時代の始まりを示しています。彼の治世中、吐蕃は軍事力を強化し、領土を拡大しました。彼の後継者であるトリソン・デツェンの治世において、帝国はさらに強大になり、領土も拡大しました。
吐蕃の最盛期
吐蕃帝国の最盛期は、41代目の王、ラルパチェン(815年 - 838年)の治世に達しました。この時期、吐蕃はタリム盆地からヒマラヤ山脈、ベンガルに至るまで、そしてパミール高原から現在の中国の四川省、甘粛省、雲南省に至る広大な領土を支配していました。
吐蕃と唐王朝の間で結ばれた条約は、ラサの大昭寺(ジョカン寺)に刻まれた石碑に記されています。
吐蕃の文化と宗教
吐蕃の文化は、チベット仏教とボン教の影響を強く受けていました。ソンツェン=ガンポの治世中に、チベット仏教が導入され、後の王たちによって広められました。トリソン・デツェンの治世中には、サムイェー寺が建立され、チベット仏教の中心地となりました。
吐蕃の衰退
9世紀の初め、吐蕃帝国は内部の権力闘争と外部からの圧力により次第に衰退していきました。877年には叛乱勢力がロカ地方を占領し吐蕃は崩壊し、複数の小王国に分裂しました。
吐蕃の遺産
吐蕃帝国の遺産は、現在のチベット文化と歴史に深く根付いています。ラサのポタラ宮殿やジョカン寺などの歴史的建造物は、吐蕃時代の栄光を今に伝えています。また、チベット仏教の教義や儀式も、吐蕃時代に確立されたものが多く含まれています。
吐蕃の歴史は、チベット高原だけでなく、広範なアジア地域に影響を与えました。その軍事力と文化的影響力は、当時のアジアの政治地図を大きく変えました。