元禄文化
17世紀末から18世紀はじめの元禄時代には、中国の清王朝成立による海外情勢の安定と、これに伴う徳川幕府の政治・経済的安定により、日本社会は成熟していきました。安定した社会背景により、武士や有力町民、下層町人、地方の農民にいたるさまざまな人々に多彩な文化が受容され、
元禄文化が生まれました。
元禄文化の特徴は主に3つあります。まず第一に、鎖国体制の確立による外国の影響力が少なくなり、日本独自の文化が成熟したことです。第二に、政治的な平和と安定により、儒学以外にも学問全般が重視され、天文学・医学・本草学など科学的な学問の進展が見られました。第三に、さまざまな分野の作家と、それらの作品を広く世の中に普及させた製紙業と出版業の発展により、元禄文化が花開きました。
元禄期の文学
元禄期には、優れた作家により、さまざまな文学作品が生まれました。元禄文学は上方の町人文芸が中心で、
松尾芭蕉(1644~94)・
井原西鶴(1642~93)・
近松門左衛門(1653~1724)が代表的です。俳諧には、江戸初期に松永貞徳(1571~1653)の貞門派があり、その後西山宗因(1605~82)の談林俳諧がおこりました。しかし、これらも次第に消えていきました。こうして登場したのが松尾芭蕉で、貞門派の技巧と談林俳諧の自由な描写の双方を学び、自然に溶け込んだ枯淡の心境である《寂び》、余情を包むリズムである《栞》、繊細な味である《細み》で示される幽玄閑寂に価値を置く蕉風という俳諧を作り上げました。松尾芭蕉は全国を訪れ、『
奥の細道』や『野ざらし紀行』など紀行文を残しました。
本其角・服部嵐雪・各務支考・向井去来榎などが弟子として「焦門の十哲」などと呼ばれましたが、彼らは松尾芭蕉の死後に多くの派に分裂してしまいました。
井原西鶴は、「浮世草子」という小説の数々を執筆しました。彼は広く庶民を対象読者にし、
好色物・町人物・武家物の3つ分野で作品を残しました。好色物は『好色一代男』『好色五人女』『好色一代女』などが著名で、主人公の恋愛遍歴を描いています。町人物は『日本永代蔵』『世間胸算用』などがあり、商人の道を描いています。武家物は『武道伝来記』『武家義理物語』などがあり、武士の世界を描いています。
近松門左衛門は、もともと武士の出身でしたが、のちに世話物や時代物など人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書きました。彼の作品は大きく分けて世相を反映した世話物、歴史を題材とした時代物の2つがあります。世話物では恋人の心中を題材にした『曽根崎心中』『心中天網島』『冥途の飛脚』などが、時代物では明朝の王位復興に奔走した鄭成功(国性爺)をモデルにした『
国性爺合戦』や『出世景清』などがあります。この時代に、すでに能や狂言は古典芸能となりつつあり、歌舞伎や浄瑠璃は庶民に支持され、発展していきました。
歌舞伎は、江戸初期の風俗取締のため女歌舞伎や若衆歌舞伎が禁止され、男女すべての役を男優が演じる野郎歌舞伎だけが元禄時代以降に残りました。これは歌舞から演劇への転換でもあり、常設の芝居小屋も京都に3座、大坂に4座、江戸に4座置かれました。江戸では、勇壮な演技の初代
市川団十郎(1660〜1704)、恋愛劇を多く演じた
坂田藤十郎(1647〜1709)、女形の代表とされる芳沢あやめ(1673〜1729)などの名男優が活躍しました。近松門左衛門の作品の中でも、辰松八郎兵衛らの人形遣いと、竹本義太夫らにより作り上げられた
浄瑠璃は、多くの人々の共感を呼び、のちに義太夫節という独立した古典に発展していきました。
好色一代男 | 井原西鶴 |
好色五人女 | 井原西鶴 |
武道伝来記 | 井原西鶴 |
日本永代蔵 | 井原西鶴 |
武家義理物語 | 井原西鶴 |
世間胸算用 | 井原西鶴 |
笈の小文 | 松尾芭蕉 |
奥の細道 | 松尾芭蕉 |
猿蓑 | 松尾芭蕉ら |
曽根崎心中 | 近松門左衛門 |
冥途の飛脚 | 近松門左衛門 |
心中天網島 | 近松門左衛門 |
国性爺合戦 | 近松門左衛門 |