ころは正月
ころは、
正月、三月、四五月、七月、
八九月、十月、十二月、すべてをりにつけつつ。
一年(ひととせ)ながらをかし。
■正月
正月。一日はまいて。空のけしきもうらうらと、めづらしう霞こめたるに、世にありとある人はみな、姿かたち心ことにつくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、さまことにをかし。
■七日
七日。雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの、目近からぬところに、持て騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬見にとて、里人は、車清げに仕立てて見に行く。中の御門の戸じきみ、曳き過ぐるほど、頭一ところにゆるぎあひ、刺櫛も落ち、用意せねば、折れなどして笑ふも、またをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを。はつかに見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、殿司・女官などの、行き違ひたるこそ、をかしけれ。「いかばかりなる人、九重を馴らすらむ」など思ひやらるるに、内裏にて見るは、いとせばきほどにて、舎人の顔のきぬもあらはれ、まことに黒きに、白きものいきつかぬところは、雪のむらむら消え残りたる心地して、いと見苦しく、馬の騰り騒ぐなども、いとおそろしう見ゆれば、引き入られて、よくも見えず。
■八日
八日。人のよろこびして、走らする車の音、ことに聞こえて、をかし。
■十五日
十五日。節供まゐり据ゑ、粥の木ひき隠して、家の御たち・女房などの、うかがふを、「打たれじ」と用意して、常にうしろを心づかひしたるけしきも、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、うちあてたるは、いみじう興ありて、うち笑ひたるは、いとはえばえし。「ねたし」と思ひたるも、ことわりなり。あたらしう通ふ婿の君などの、内裏へ参るほどをも、心もとなう、ところにつけて、「われは」と思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奥のかたに立たずまふを、前にゐたる人は、心得て笑ふを、「あなかま」とまねき制すれども、女はた、知らず顔にて、おほどかにてゐたまへり。「ここなるもの取りはべらむ」など、いひよりて、走り打ちて逃ぐれば、あるかぎり笑ふ。男君もにくからずうち笑みたるに、ことにおどろかず、顔すこし赤みてゐたるこそ、をかしけれ。また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人をのろひ、まがまがしくいふもあるこそ、をかしけれ。 内裏わたりなどの、やむごとなきも、今日はみな、乱れてかしこまりなし。除目の頃など、内裏わたり、いとをかし。雪降り、いみじう凍りたるに、申文持て歩く四位・五位、若やかに心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭白きなどが、人に案内いひ、女房の局などに寄りて、おのが身の賢き由など、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々は、まねをし笑へど、いかでか知らむ。「よきに奏し給へ」「啓し給へ」などいひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。
■三月
三月。三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の、いま咲きはじむる。柳など、をかしきこそさらなれ。それも、まだ繭にこもりたるはをかし。ひろごりたるは、うたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる桜を、長く折りて、大きなる瓶に挿したるこそをかしけれ。桜の直衣に出だし袿して、客人にもあれ、御兄の君達にても、そこ近くゐて、ものなどうちいひたる、いとをかし。
■四月
四月。祭りの頃、いとをかし。上達部・殿上人も、表の衣の濃き淡きばかりのけぢめにて、白襲ども同じさまに、涼しげにをかし。木々の木の葉、まだいと繁うはあらで、若やかに青みわたりたるに、霞も霧も隔てぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、少し曇りたる夕つ方・夜など、しのびたる郭公の、とほく「そら音か」とおぼゆばかり、たどたどしきを聞きつけたらむは、なに心地かせむ。祭り近くなりて、青朽葉・二藍の物どもおし巻きて、紙などに、けしきばかり押し包みて、行き違ひ持て歩くこそ、をかしけれ。末濃・むら濃なども、常よりはわかしく見ゆ。童女の、頭ばかりを洗ひつくろひて、服装はみな、綻び絶え、乱れかかりたるもあるが、屐子・沓などに、「緒すげさせ」「裏おさせ」など、持て騒ぎて、いつしかその日にならむと、急ぎをし歩くも、いとをかしや。
あやしう躍り歩く者どもの、装束き、仕立てつれば、いみじく「定者」などいふ法師のやうに、練りさまよふ。いかに心もとなからむ、ほどほどにつけて、母・姨の女・姉などの、供し、つくろひて、率て歩くも、をかし。蔵人思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやと、おぼゆれ。綾ならぬは、わろき。