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大鏡『競べ弓・南院の競射・道長と伊周・弓争ひ(帥殿の、南院にて〜)』のあらすじ・原文 |
著作名:
走るメロス
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大鏡『競べ弓・南院の競射・道長と伊周・弓争ひ』の本文をあらすじにまとめました
このテキストでは、大鏡の一節『競べ弓』(帥殿の、南院にて人々集めて弓あそばししに〜)から始まる部分のあらすじと原文を記しています。書籍によっては、「南院の競射」、「道長と伊周」、「弓争ひ」、「道長と伊周の競射」などと題されているものもあります。
大鏡とは
大鏡は平安時代後期に成立したとされる歴史物語です。藤原道長の栄華を中心に、宮廷の歴史が描かれています。
本文をあらすじにまとめました
帥殿(そちどの:藤原伊周)が南院で人を集めて弓競べを催したとき、藤原道長(伊周のおじ)がやってきました。道隆(伊周の父親/道長の兄)は驚いたものの、弓を射る順番を変更するなどして道長をもてなしました。本来は官位の高い伊周が先に射るところを、官位の低い道長に先に射させたのです。すると、道長が2本多く成功させてしまいました。道隆やお仕えしている人たちが「あと2本、勝負を延長なさい」と言うので、道長は心おだやかではなかったものの延長戦に同意しました。
道長は最初の矢を、「将来、もし天皇や皇后が私の家からお出でになるのならば、この矢よ当たれ」と言って放ち、的の中心に当てました。その次に射た伊周が矢を射ましたが、気が動転していたのか、的にかすりもせず外れてしまいました。道隆の顔は真っ青になってしまいました。続いて道長は、2本目の矢を「私が将来、摂政・関白の地位につくのであれば、この矢よ当たれ。」と言って放ち、再び的の中心を射抜きました。道隆は、せっかく道長を歓待したにもかかわらず、興がさめて気まずい雰囲気になってしまいました。道隆は「もう射るな、射るな」と伊周が弓を射るのを止めてしまい、その場がしらけてしまいました。
原文(本文)
帥殿の、南院にて人々集めて弓あそばししに、この殿わたらせ給へれば、
と、中関白殿思し驚きて、いみじう饗応し申させ給ふて、下臈におはしませど、前に立て奉りて、まづ射させ奉らせ給ひけるに、帥殿の矢数いま二つ劣り給ひぬ。
中関白殿、また御前に候ふ人々も、
「いま二度延べさせ給へ。」
と申して、延べさせ給ひけるを、安からず思しなりて、
「さらば延べさせ給へ。」
と仰せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
「道長が家より帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ。」
と仰せられるるに、同じものを中心には当たるものかは。次に、帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射給ふとて、
「摂政・関白すべきものならば、この矢当たれ。」
と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させ給ひつ。
饗応し、もてはやし聞こえさせ給ひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。父大臣、帥殿に、
「何か射る。な射そ、な射そ。」
と制し給ひて、ことさめにけり。
入道殿、矢もどして、やがて出でさせたまひぬ。その折は左京大夫(だいぶ)とぞ申しし。弓をいみじう射させたまひしなり。また、いみじう好ませたまひしなり。
今日に見ゆべきことならねど、人の御さまの、言ひ出で給ふことの趣より、かたへは臆せられ給ふなむめり。
現代語訳(口語訳)
大鏡『競べ弓・南院の競射・道長と伊周・弓争ひ(帥殿の、南院にて〜)』のわかりやすい現代語訳と解説
著者情報:走るメロスはこんな人
学生時代より古典の魅力に取り憑かれ、社会人になった今でも休日には古典を読み漁ける古典好き。特に1000年以上前の文化や風俗をうかがい知ることができる平安時代文学がお気に入り。作成したテキストの総ページビュー数は2億回を超える。好きなフレーズは「頃は二月(にうゎんがつ)」や「月日は百代の過客(くゎかく)にして」といった癖のあるやつ。早稲田大学卒業。
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