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古代ローマの歴史 1 ローマの起源と共和制 |
著作名:
ピアソラ
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古代ローマってなんだ?
紀元前に興ったイタリア半島中間の都市国家が、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国になっていく。この国家の総称を古代ローマといいます。
正式名称は、『元老院ならびにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)』。略してSPQRという頭文字が使われました。
古代ローマのはじまり
紀元前12世紀頃、インド=ヨーロッパ語族のイタリア人の一派にラテン人という人々がいました。
ラテン人の由来は、定住先のラティウム地方から名付けられました。
この人達は、イタリア半島のティベル河畔に集落をつくり、これがローマの起源と言われています。
(ティベル川とローマの位置)
紀元前9世紀ころになると、ギリシア人や起源不明のエトルリア人によって文化がもたらされます。
最初ローマはエトルリア人の王を頂点にした王政でした。
この時代、すでに社会階層があり、パトリキ(貴族)と、プレブス(平民)という2つの階層にわかれていました。
共和制のはじまり
紀元前509年になると、エトルリア人の王様を追放して、ローマで共和制がはじまります。
共和制というのは、王など特定の国家元首が政治を決定するのではなく、民が統治上の最高決定権を持つ政体のことです。
このときの共和制は、貴族が政治を支配する貴族共和制でした。
パトリキ(貴族)が政治の重要な役職を独占していたんですね。
共和制のシステムは、元老院、コンスル(執政官)、民会によって成立していました。
元老院
元老院とは、貴族で構成された最高の立法・諮問機関です。もともと王政時代に、王の助言機関として成立していて、文字通り長老や年長者の集まりであったことからこう呼ばれます。共和制の成立後、実質的な統治機関になります。任期は終身で、300人の定員は後に600人まで増加します。
民会
民会は、全男性市民によって構成されていた議会のことです。政務官(執政官や法務官など)の選出や、立法・裁判などを主な任務としていました。ローマではのちに3つの民会ができました。
コンスル(執政官・統領)
コンスル(執政官)は、政務官のなかでも、行政や軍事を担当した最高政務官で、任期は1年で無給でした。民会の一つだった兵員会から2名選出され、貴族が独占していました。
ローマで非常事態が発生したときは、コンスルのうちの1人がディクタトル(独裁官)という臨時職に任命されました。ディクタトルは非常事態に際して全権を委任されるなど強力な権力を持つことから、任期は6ヶ月で、再任はありませんでした。
政務官職は、ローマの貴族たちの目標でもありました。政務官のキャリアパスとして、財務官→按察官→法務官→執政官という順序があり、執政官は限られた人間のみが就く役職でした。
身分闘争
このように、共和制ローマでは、長らく貴族が政治を支配する構造が続いていたんですね。
貴族による政治の独占に対して、次第に平民(プレブス)から不満が出てきます。
このころ、ギリシアの場合と同じように、商工業の発展とともに平民が武器や防具を買えるようになり、重装歩兵として軍役を果たすようになります。
(重装歩兵)
軍役を果たして国に貢献してるんだから、平民も政治に参加させろということです。
この身分闘争は長い間続きますが、紀元前494年に、政治参加を求めて平民が軍役を拒否した聖山事件が起こると、貴族たちも国防上の観点から妥協し始めます。
この事件の結果、貴族は平民たちに平民会と護民官の設置を認めました。
平民会は、民会の一つで平民のみで構成され、政治参加を可能にしました。
この平民会で選ばれたのが護民官です。その身体は神聖不可侵とされ、平民保護のために元老院やコンスルの決定に対する拒否権をもちました。
(ローマ共和制の制度)
これ以降、平民に有利な法制度が作られます。
十二表法(紀元前450年頃)
当時の共和制は圧倒的に貴族に有利でした。法律に関する知識や慣習は文章にされておらず、貴族のみが理解し用いることができたからです。
そこで、平民は法体系を文字にすることを望み、ローマ最古の成文法である十二表法が作られます。
慣習法が明文化されたことで、これ以降貴族が自分たちに有利な法律を作りにくくなりました。
リキニウス・セクスティウス法(紀元前367年)
リキニウスとセクスティウスという二人の護民官が制定した法律です。
コンスルの1名を平民から選出することと、公有地の占有を一人500ユゲラ(125ヘクタール)に制限するなど、有力者などの大土地所有を禁じることが決められます。
このうち、土地所有が制限された背景には、ローマの軍事力に危機的状況があったからです。このころ、貴族などの有力者は、さまざまな方法で中小自作農だった平民から土地を取り上げ大土地所有者になっていきました。その結果、平民は自分たちで武器や防具を買えず、重装歩兵として戦争に参加できなくなっていったのです。ローマの国防、上重装歩兵の担い手である平民の没落を防ぐ必要があったんですね。
ホルテンシウス法(紀元前287年)
ホルテンシウスというディクタトルが制定し、平民会の決議が元老院の承認なしに国法になるという内容でした。
この法律の制定をきっかけに、貴族と平民の政治的な平等が達成され、身分闘争が終わります。
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