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源氏物語「車争ひ」(物も見で帰らむとしたまへど、通り出でむ隙もなきに〜)のわかりやすい現代語訳と解説
著作名: 走るメロス
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源氏物語「車争ひ」

このテキストでは、源氏物語に収録されている「車争ひ」(物も見で帰らむとしたまへど、通り出でむ隙もなきに)の現代語訳・口語訳とその解説をしています。

※前回のテキスト:車争ひ」(斎宮の御母御息所、もの思し乱るる慰めにもやと〜)のわかりやすい現代語訳と解説

原文・本文

物もで帰らむとしたまへど、通り出でむ隙もなきに、
「事なりぬ。」

と言へば、さすがにつらき人の御前渡り待たるるも心弱しや。笹の隈にだにあらねばにや、つれなく過ぎたまふにつけても、なかなか心づくしなり。げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾の隙間どもも、さらぬ顔なれど、ほほ笑みつつ後目とどめたまふもあり。大殿のはしるければ、まめだちて渡りたまふ。御供の人びとうちかしこまり心ばへありつつ渡るを、おし消たれたるありさま、こよなう思さる。
「影をのみ御手洗川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる。」

と、涙のこぼるるを、人の見るはしたなけれど、目もあやなる御さま容貌のいとどしう出で映えを見ざらましかばと思さる。

現代語訳・口語訳

(御息所は)見物を見ないで帰ろうとなさいますが、通り出るような隙間もないでいるうちに、
「行列がきた。」

と(皆が)言うので、(帰ろうとは思ったものの)そうはいってもやはり薄情である人のお通りを自然に待たれるのは意志の弱いことですよ。(この場所が古今和歌集に詠まれた)笹の隈でもないからでしょうか、(光源氏が)素知らぬ様子でお通り過ぎになるにつけても、かえって物思いの限りを尽くしてしまうことです。なるほど、いつもより趣向を凝らした車らの、我も我もと乗った車から(女房たちの)衣服がはみ出ている下簾の隙間に対しても、さりげない表情ですが、(光源氏が)微笑みながら横目でちらりと目にとどめなさるものもあります。大殿(左大臣方の葵の上)の車は際立っているので、まじめに振る舞ってお通りなさいます。(光源氏の)お供の人々は威儀を正し、心遣いをしながら通り過ぎるので、(御息所は葵の上に)圧倒された(自分の)姿が、この上もなく(情けないと)お思いになられます。
「姿を(映して)見るだけで流れ去る御手洗川のように(過ぎ去るあなたが)薄情なので、(そのお姿を遠くから見ただけの)我が身のつらさがいよいよ身にしみてわかってきます。」

と(詠んで)、涙がこぼれるのを、(車に同乗している)人が見るのもきまりが悪いですが、まぶしいほど立派である(光源氏の)お姿や容貌がいっそう見栄えするのを、見なかったならば(どんなに心残りであっただろうか)と自然とお思いになります。

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