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東ヨーロッパ世界の発展(ビザンツ帝国、ユスティニアヌス帝、ビザンツ文化など) 受験対策問題 43 |
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著作名:
レキシントン
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※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
・395年、テオドシウス帝がローマ帝国を東西に分け、長男アルカディウスに東を、次男ホノリウスに西を与えた。西ローマ帝国は476年にオドアケルによって滅ぼされるが、東ローマ帝国はその後も1000年あまり続いた。東ローマ帝国は、首都コンスタンティノープルの旧名ビザンティウムに由来するビザンツ帝国とも呼ばれる。
・ビザンツ帝国の初期の絶頂期は、ユスティニアヌス帝(在位527~565)によって現出した。ユスティニアヌス帝は、ローマ帝国の旧領土の回復を目指し積極的な外征を行い、534年に北アフリカのヴァンダル王国、555年にイタリアの東ゴート王国を征服し、西ゴート王国からイベリア半島の一部を奪った。また、東方ではササン朝ペルシアのホスロー1世と戦い、地中海の制海権を確保した。一方内政面では、首都コンスタンティノープルに聖ソフィア聖堂を再建し、法学者トリボニアヌスにローマ法の集大成である『ローマ法大全』を編纂させた。また中国から養蚕業を導入し、絹織物業を主要な産業とした。
・広大な領土の維持はビザンツ帝国の国家財政の大きな負担となり、重税は各地で反乱を招いた。ユスティニアヌス帝の死後、北イタリアはロンバルド族に征服され、東方ではササン朝の侵攻が激しくなり、アヴァール人・スラヴ人もバルカン半島から南下した。こうした危機的状況に即位したのが、ヘラクレイオス1世(在位610~641)である。ヘラクレイオス1世は、当時急速に拡大していたイスラーム勢力に対抗するため、防衛力の強化を目指し、軍管区制(テマ制)と屯田兵制を整備した。
・小アジア地方のイスラーム勢力を撃退したレオン3世は、726年聖像禁止令を発布した。これは、イエスや聖人をかたどった偶像を禁止するもので、偶像崇拝を厳しく禁じて勢力を拡大していたイスラームに対抗するため、皇帝専制政治の障害となっていた聖像崇拝派の修道院の大土地所有を抑えるために行われた。
・聖像崇拝論争は、ビザンツ皇帝とローマ教皇の間で762年以降対立が続き、1054年東西教会が互いに破門する大シスマとなり、以後西方教会のローマ=カトリック、東方教会のギリシア正教会に完全に分裂した。ギリシア正教会の首長はコンスタンティノープル総主教といわれ、その任命権はビザンツ皇帝がもった。そのため、ビザンツ帝国では、政治と宗教の権力を皇帝が握る皇帝教皇主義という体制となった。中期ビザンツは、バシレイオス1世からはじまったマケドニア朝のもと、10世紀後半にイスラーム勢力やブルガリアを撃退し、勢力を拡大した。
・11世紀末に、宮廷内の混乱を収め即位したコムネノス朝のアレクシオス1世は、新しい土地制度としてプロノイア制をはじめた。対外的にはセルジューク朝と戦い、西方教会のローマ教皇に十字軍を要請した。
・1204年には、ビザンツ帝国と交易上の対立があったヴェネツィア主導のもと第4回十字軍が派遣され、同じキリスト教国のビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルが占領され、ラテン帝国が建国された。これによりビザンツ帝国は一時的に中断するが、残存勢力がニケーア帝国を建て生き残り、1261年ジェノヴァからの支援をうけ、コンスタンティノープルを奪還し、ビザンツ帝国を再興した。
・ビザンツ帝国の再興により、最後のパラエオロゴス朝が成立したが、新たにバルカン半島で勢力を拡大したセルビア王国やオスマン帝国の圧力により、領土が縮小していった。オスマン帝国はその後も勢力を拡大し、ニコポリスの戦いでハンガリー王ジギスムント率いるキリスト教徒軍を撃破した。最終的に1453年、オスマン帝国軍によりコンスタンティノープルが陥落し、ビザンツ帝国は滅亡した。(1453年はコロンブスが新大陸に到達した年でもある。)
・ビザンツ帝国は、ヘレニズム文化をもとにしながら、ギリシアの古典文化を保存・継承し、ローマやオリエントの文化を融合した独自のビザンツ文化を作り出した。
・ビザンツ文化の歴史的意義は、ギリシアの古典・文化を継承し、これらをイスラームや西ヨーロッパへ伝えたことと、スラヴ人にビザンツ文化とギリシア正教を伝え、東ヨーロッパ文化圏を形成したことである。
・ビザンツ建築では、コンスタンティノープルの聖ソフィア聖堂やラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂、ヴェネツィアのサン=マルコ聖堂などが有名である。これら教会は、ドームとモザイク壁画、イコンなどで装飾され、ビザンツ様式という建築様式で建てられた。
・交易も盛んだったビザンツ帝国では、ノミスマ(ラテン語でソリドゥス)という金貨が発行され、中世の地中海世界の基軸通貨となった。
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