|
|
|
更新日時:
|
|
![]() |
十訓抄『大江山』わかりやすい現代語訳と解説 |
著作名:
走るメロス
1,713,179 views |
『大江山の歌・小式部内侍が大江山の歌のこと』原文・わかりやすい現代語訳と解説
このテキストでは、十訓抄の一節『大江山の歌』(和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに〜)の原文、現代語訳・口語訳とその解説を記しています。十訓抄は鎌倉中期の説話集です。編者は未詳です。
書籍によっては『小式部内侍が大江山の歌の事』、『大江山のいくのの道』と題されているものもあるようです。この説話は古今著聞集にも収録されていますが、若干原文が異なります。
※古今著聞集Ver.:『小式部内侍が大江山の歌のこと』の現代語訳と解説
※古今著聞集は、鎌倉時代に橘成季によって編纂された世俗説話集です。
このお話のあらすじ
和泉式部は才能にあふれた歌人として知られていました。この話が起こった当時、和泉式部は夫の転勤で丹後に引っ越しており、京都には娘の小式部内侍だけが残されていました。
ある日、小式部内侍は、歌詠みの大会(歌合)によばれました。歌合とは詠んだ和歌の優劣を競い合う文学的な遊びのことです。有名な歌人を母にもつ小式部内侍には、周囲からの期待がかかります。そのような状況下で小式部内侍は、定頼の中納言に「歌の名人であるお母さんに、代わりに歌を詠んでもらうために遣わした者は帰ってきましたか。」とからかわれてしまいます。
からかわれた小式部内侍は、すばらしい歌でこれに答えます。その時に詠まれた歌がこの「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立」です。あまりのすばらしさに返す言葉もなくなった定頼の中納言は逃げてしまいました。そんな、すかっとするようなお話です。
原文
(※1)和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下り(※2)けるほどに、京に歌合ありけるを、(※3)小式部内侍、歌詠みにとられて、歌を詠みけるに、定頼の中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、
と言ひて、局の前を過ぎられけるを、御簾より半らばかり出でて、わづかに直衣の袖を控へて
と詠みかけけり。
思はずに、あさましくて、
「こはいかに、かかるやうやはある。」
とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて逃げられけり。小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出で来にけり。
これはうちまかせて理運のことなれども、かの卿の心には、これほどの歌、ただいま詠み出だすべしとは、知られざりけるにや。
現代語訳(口語訳)
和泉式部が、藤原保昌の妻として、丹後の国に赴いた頃のことですが、京都で歌合わせがあったときに、(そこに和泉式部の娘の)小式部内侍が、歌の詠み手に選ばれて歌を詠んだのを、定頼の中納言がふざけて、小式部内侍が(局に)いたときに、
「(お母さんに歌を詠んでもらうために)丹後におやりになった人は(帰ってきて)参上しましたか。(使いが帰ってくるのを)さぞかし待ち遠しくお思いのことでしょう。」
と言って、局の前を通り過ぎられたところ、(小式部内侍は)御簾から半分ほど(体を)乗り出して、少し(定頼の中納言の着ている)直衣の袖を引き止めて、
と詠んで返歌を求めました。(定頼の中納言は)思いがけないことで、驚きあきれて
「これはどういうことか。このようなことがあるものか、いやない。」
とだけ言って、返歌もできずに、袖を引っ張って離してお逃げになりました。
小式部内侍は、この件以来歌詠みの世界で評判が出てきました。
これは(和泉式部の血をひいた小式部内侍にとっては)ふつうの道理にかなっていることなのですが、あの卿(定頼の中納言)の心には、これほどの歌を、すぐに詠んで披露することができるとは、おわかりではなかったのでしょうか。
■次ページ:品詞分解と単語・文法解説とテストに出題されそうな問題
1ページ
|
前ページ
|
1/2 |
次ページ |
このテキストを評価してください。
役に立った
|
う~ん・・・
|
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。 |
|
伊勢物語『芥川(白玉か)』テストで出題されそうな問題
>
竹取物語の現代語訳 かぐや姫のおひたち
>
西行法師『風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへもしらぬわが思ひかな』現代語訳と品詞分解
>
百人一首99『人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は』現代語訳と解説(倒置・句切れなど)
>
伊勢物語『あづさ弓(梓弓)』わかりやすい現代語訳と文法解説
>
最近見たテキスト
十訓抄『大江山』わかりやすい現代語訳と解説
10分前以内
|
>
|
デイリーランキング
注目テキスト