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ダライ=ラマとは わかりやすい世界史用語2423 |
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著作名:
ピアソラ
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ダライ=ラマとは
ダライ=ラマという称号は、チベット仏教ゲルク派の指導者に与えられるものであり、その歴史は16世紀に遡ります。 この称号は、モンゴル語の「ダライ(海)」とチベット語の「ラマ(師)」を組み合わせたもので、「智慧の海」を意味します。 1578年、モンゴルのアルタン・ハーンが、当時のゲルク派の指導者であったソナム・ギャツォの深遠な教えに感銘を受け、彼に「ダライ=ラマ」の称号を贈りました。 これが、ダライ=ラマという称号が公式に用いられた最初の事例です。 ソナム・ギャツォは3代目と見なされ、彼の前任者であるゲンドゥン・ドゥプとゲンドゥン・ギャツォには、死後にそれぞれ1代目と2代目のダライ=ラマの称号が贈られました。
ダライ=ラマは、チベット仏教の信仰の中心的な概念である、観音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)の化身であると信じられています。 観音菩薩は慈悲の菩薩であり、人々を救済するために涅槃に入ることを先延ばしにし、この世に生まれ変わり続ける存在とされています。 したがって、ダライ=ラマは、一人の人間が代々生まれ変わっているのではなく、慈悲の菩薩がその時々の衆生を救うために、異なる身体を持って現れると考えられています。 この化身の系譜は、初代ダライ=ラマであるゲンドゥン・ドゥプが生まれた1391年に始まるとされています。 チベットの人々は、ダライ=ラマを「イェシン・ノルブ(願いを叶える宝珠)」や「クンドゥン(存在そのもの)」といった敬称で呼ぶこともあります。
ダライ=ラマの制度は、17世紀の5代目ダライ=ラマの時代から、チベットの国家統一の象徴としての役割を担うようになりました。 ゲルク派は中央チベットで支配的な宗派でしたが、ダライ=ラマの宗教的権威は宗派の垣根を越え、特定の宗派に限定されない仏教的価値観と伝統を代表するものとなりました。 この超宗派的な存在としての伝統的な機能は、14代目ダライ=ラマにも受け継がれています。
歴代のダライ=ラマ
初代ダライ=ラマであるゲンドゥン・ドゥプ(1391年-1474年)は、ゲルク派の創始者ツォンカパの弟子でした。彼はラサ近郊に建立された三大寺院の一つであるデプン寺の座主となり、中央チベットのウー地方で大きな民衆の支持基盤を築きました。 その後、彼はツァン地方にも影響力を広げ、シガツェにタシルンポ寺を建立しました。
2代目ダライ=ラマ、ゲンドゥン・ギャツォ(1475年-1542年)は、タシルンポ寺で学んだ後、ラサに戻りデプン寺の座主となりました。 彼は初代が築いたウーとツァンでの広範な支持を再活性化させ、さらに南チベットにまで足を延ばして信者を増やし、新たな寺院チョコルギェルを建設しました。 これにより、ダライ=ラマの化身の系譜は確固たるものとなりました。
3代目ダライ=ラマ、ソナム・ギャツォ(1543年-1588年)は、ラサ近郊の貴族の家に生まれました。 彼は前任者の生まれ変わりとして認定され、デプン寺で教育を受け、その才能はすぐに認められました。 彼の最も重要な功績の一つは、1578年にモンゴルの有力な支配者であったアルタン・ハーンと会見したことです。 この歴史的な会見は、チベットとモンゴルの間に強力な精神的・政治的な同盟関係を築きました。 アルタン・ハーンはソナム・ギャツォの智慧を称え、「ダライ=ラマ」の称号を授けました。 これに対し、ソナム・ギャツォはアルタン・ハーンに「宗教の王」を意味する「ブラフマー」の称号を贈りました。 ソナム・ギャツォはモンゴルへの布教に力を注ぎ、多くのモンゴル人がチベット仏教に改宗しました。 彼はまた、アムド地方のクンブム僧院やカム地方のリタン僧院など、重要な僧院を建立しました。 彼の活動により、ゲルク派の影響力はチベット内外で飛躍的に増大しました。
4代目ダライ=ラマ、ユンテン・ギャツォ(1589年-1617年)は、アルタン・ハーンの曾孫としてモンゴルに生まれました。 彼は唯一のチベット人ではないダライ=ラマです。彼の認定は、チベットとモンゴルの間の緊密な関係をさらに強化しました。
5代目ダライ=ラマ:チベットの統一とポタラ宮の建設
5代目ダライ=ラマ、ロブサン・ギャツォ(1617年-1682年)は、「偉大なる5世」として知られ、ダライ=ラマの歴史において極めて重要な人物です。彼は、モンゴルのグシ・ハーンの軍事力を背景に、1642年にチベット全土を統一し、精神的指導者であると同時に政治的統治者となりました。 これにより、ガンデンポタンとして知られるチベット政府が樹立され、ダライ=ラマが国家元首となる体制が確立しました。 この政教両面の指導体制は、1959年に14代目ダライ=ラマが亡命するまで続きました。
ロブサン・ギャツォの治世は、チベットの文化と芸術が大きく花開いた時代でもありました。彼の最も象徴的な功績は、ラサにポタラ宮を建設したことです。この壮大な宮殿は、ダライ=ラマの冬の居城であり、チベット政府の政庁としても機能しました。 ポタラ宮は、チベットの宗教的・政治的権威の象徴として、今なおその威容を誇っています。彼はまた、学問を奨励し、多くの学者や芸術家を支援しました。彼の統治下で、チベットは比較的平和で安定した時代を享受し、独自の文化を育んでいきました。
6代目から12代目:動乱と安定の時代
6代目ダライ=ラマ、ツァンヤン・ギャツォ(1683年-1706年)は、その詩的な才能と型破りな生活様式で知られています。彼は僧侶としての厳格な規律よりも、世俗的な生活や恋愛を好んだと伝えられており、彼の作った多くの詩は今でもチベットの人々に愛唱されています。しかし、彼の行動は政治的な対立を引き起こし、最終的にはモンゴルのラプサン・ハーンによって廃位され、その後の消息は不明です。
7代目から12代目までのダライ=ラマの時代は、清朝の保護下に入るなど、外部勢力との関係が複雑化し、政治的な不安定さが続きました。この期間、ダライ=ラマの多くは若くして亡くなるか、政治的実権を摂政に握られることが多く、その権威は必ずしも盤石ではありませんでした。しかし、その間もダライ=ラマはチベットの人々の精神的な支柱であり続けました。例えば、8代目ダライ=ラマ、ジャムペル・ギャツォ(1758年-1804年)は、ラサにノルブリンカ宮殿を夏の居城として建設しました。
13代目ダライ=ラマ:近代化への試みと独立宣言
13代目ダライ=ラマ、トゥプテン・ギャツォ(1876年-1933年)は、20世紀初頭の激動の時代にチベットを導いた強力な指導者でした。彼は、イギリスのチベット侵攻(1904年)や清朝の侵攻(1910年)といった危機に直面し、二度にわたる亡命を余儀なくされました。しかし、これらの経験を通じて、彼は国際情勢の重要性を痛感し、チベットの近代化と独立の必要性を強く認識するようになりました。
1912年に清朝が崩壊すると、彼はチベットに戻り、チベットの完全な独立を宣言しました。 彼は、軍隊の近代化、郵便制度の導入、西洋医学の導入、学校の設立など、多岐にわたる改革を試みました。彼の改革は、保守的な僧侶層や貴族層からの抵抗に遭い、必ずしもすべてが成功したわけではありませんが、チベットを近代国家へと導こうとする彼の先見性は高く評価されています。彼はまた、自身の死後、チベットが再び外部からの脅威に晒されることを予言し、国民に団結を呼びかけました。
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