はじめに
このテキストでは、
土佐日記の一節「
黒鳥のもとに(白波・かしらの雪)」(二十一日〜)の原文、現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
※
土佐日記は平安時代に成立した日記文学です。日本の歴史上おそらく最初の日記文学とされています。作者である
紀貫之が、赴任先の土佐から京へと戻る最中の出来事をつづった作品です。
※
紀貫之は、柿本人麻呂や小野小町らとともに
三十六歌仙に数えられた平安前期の歌人です。『
古今和歌集』の撰者、『新撰和歌』(新撰和歌集とも)の編者としても知られています。
原文
二十一日。
卯の時ばかりに船
出だす。みな人々の船出づ。これを見れば、春の海に秋の木の葉しも散れるやうに
ぞありける。
おぼろけの願によりてにやあらむ、風も吹かず、よき日
出で来て、漕ぎ行く。
この間に、使はれむとて、付きて来る童あり。それが歌ふ船唄、
なほこそ国の方は見やらるれ、わが父母ありとし思へば。帰らや。
と歌ふぞ
あはれなる。
かく歌ふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥といふ鳥、岩の上に集まり居り。その岩のもとに、波白く打ち寄す。楫取りの言ふやう、
「黒鳥のもとに、白き波を寄す」
とぞ言ふ。この言葉、何とには
なけれども、
物言ふやうにぞ聞こえたる。人のほどに合はねば、
とがむるなり。かく言ひつつ行くに、
船君なる人、波を見て、
「国より始めて、海賊報いせむと言ふなることを思ふ上に、海のまた恐ろしければ、頭もみな白けぬ。七十ぢ、八十ぢは、海にあるものなりけり。
わが髪の雪と磯辺の白波といづれまされり沖つ島守楫取り、言へ」
【あなたは言える?「質量」と「重さ」の違い】
現代語訳
21日。午前6時ごろに船で出発させる。皆の船も出港した。この様子を見ると、春の海に秋の木の葉が散っているような情景であった。(船を木の葉に例えている)。格別な祈願によってであろうか、風も吹かないで、よい天気が巡ってきて、(船を)こいで行く。
さて、こんなときに(私たちに)使ってもらおうと思ってついてきた子どもがいる。その子どもが船歌を歌っている。
ついてきちゃったけど、やっぱり自分の国の方を自然と見てしまう。自分の父母がいると思えば。帰ろうよ。
と歌うのは、とても趣深い。
このような歌を聞きながら船を進めていると、黒鳥という名の鳥が岩の上に集まっていた。その岩のところに白い波が打ち寄せている。船のかじ取りが、
「黒鳥のところに白い波が寄せている」
と言う。この言葉はなんともないのだけれど、気の利いたことを言う(「黒」と「白」とをかけて言っている)ように聞こえる。(表現の仕方がかじ取りという)身分に似合わないので、気にかけるのである。このように言っているうちに、紀貫之が波をみて、
「土佐を出発してから、海賊が報復してくるだろう(紀貫之が国司時代に海賊を取り締まっていたと推測)という噂を思う上に、海もまた恐ろしいので(心配事だらけで)髪の毛がすっかり白髪になってしまたよ。70歳、80歳になる理由は海にあったのだなぁ。
私の髪の毛と波の白さとではどちらが白いのだろうか、沖の島の守り主よ。船のかじ取りよ、島の守り主の代わりに答えておくれ。」
■次ページ:品詞分解と単語解説
【受験日本史】日露戦争、韓国併合、満州進出、桂園時代について解説