『観音様のご加護』原文・現代語訳と解説
このテキストでは、
古本説話集の一節『
観音様のご加護』の原文、わかりやすい現代語訳(口語訳)とその解説を記しています。
古本説話集とは
古本説話集は、平安時代末期から鎌倉時代初期の間に成立したとされる説話集です。『
今昔物語集』、『
宇治拾遺物語』といった有名な説話集などと共通する話も掲載されています。
原文
今は昔、身いと
わろくて過ごす女ありけり。時々来る男来たりけるに、雨に降りこめられて居たるに、
「いかにして物を食はせむ」
と思ひ歎けど、すべき方もなし。日も暮れ方になりぬ。
いとほしく
いみじくて、
「わが頼み奉りたる観音、助け給へ。」
と思ふ程に、わが親のありし世に使はれし女従者、いと
きよげなる食物を持て来たり。うれしくて、よろこびに取らすべき物のなかりければ、小さやかなる紅き小袴を持ちたりけるを、取らせてけり。我も食ひ、人にもよくよく食はせて、寝にけり。
暁に男は出でて往ぬ。つとめて、
持仏堂にて、観音持ち奉りたりけるを、見奉らむとて、丁立て、据え参らせたりけるを、
帷子(かたびら)引きあけて見参らす。
この女に取らせし小袴、仏の御肩にうち掛けておはしますに、いと
あさまし。昨日取らせし袴なり。あはれにあさましく、
おぼえなくて持て来たりし物は、この仏の御しわざなりけり。
現代語訳
今となっては昔のことですが、大変貧乏に過ごしている女がいました。たまに通ってくる男が(今夜も)来たのですが、雨が降って外に出られずにいたので(女の家に留まっていました。)女は、
「どのようにして男に食事を食べさせようか」
と思い悩みますが、どうすることもできないでいます。日も暮れてきました。(女は自分の境遇を)たいへん気の毒に思い、
「私が頼っている観音様、お助けください。」
と思ったところ、親が生きていた頃に使われていた女中が、とてもみごとな食べ物を運んで来たのでした。嬉しくて、(彼女に)お礼にあげる物がなかったので、小さな紅い小袴を持っていたのでこれを与えました。自分も食べ、男にも食べさせてから就寝しました。
明け方には男はかえって行きました。女は、早朝になって、持仏堂でおまつり申し上げている観音様を拝見しにいこうと思って、几帳(しきり)を立てて、まつり申し上げていた状態の観音様を、帷子をめくってお参りしましいた。
すると、女中に与えた小袴が仏の肩にかかっていたので、とても驚きました。昨日、女中に与えた袴です。女はしみじみと驚きましたが、思いがけなく持ってきた物は、この仏様の仕業だったのです。
単語・解説
わろし | ここでは「貧しい」の意味 |
いとほし | 気の毒だ |
いみじ | たいへん |
きよげなり | たいへん、とても |
持仏堂 | 仏や位牌などを安置する堂、仏間 |
帷子 | 几帳に用いる布 |
あさまし | 意外である、驚く |
おぼえなし | 思いがけない |
著者情報:走るメロスはこんな人
学生時代より古典の魅力に取り憑かれ、社会人になった今でも休日には古典を読み漁ける古典好き。特に1000年以上前の文化や風俗をうかがい知ることができる平安時代文学がお気に入り。作成したテキストの総ページビュー数は1,6億回を超える。好きなフレーズは「頃は二月(にうゎんがつ)」や「月日は百代の過客(くゎかく)にして」といった癖のあるやつ。早稲田大学卒業。