はじめに
このテキストでは、
徒然草の一節「
五月五日、賀茂の競べ馬を」の現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
※徒然草は兼好法師によって書かれたとされる随筆です。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並んで「古典日本三大随筆」と言われています。
原文
五月五日、賀茂の競べ馬を見
侍りしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざり
しかば、おのおの下りて、
埒(らち)の
きはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。
かかる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の、登りて、木の股に
ついゐて、物見るあり。
取りつきながら、いたう睡りて、落ちぬべき時に目を醒ます事、度々なり。これを見る人、
あざけりあさみて、
「世のしれ者かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」
と言ふに、我が心にふと思ひしままに、
「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」
と言ひたれば、前なる人ども、
「まことにさにこそ候ひけれ。尤(もっと)も愚かに候ふ」
と言ひて、皆、後を見返りて、
「ここへ入らせ給へ」
とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。かほどの理、
誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当りけるにや。人、木石にあらねば、時に
とりて、物に感ずることなきにあらず。
現代語訳
5月5日、賀茂神社の競べ馬を見に行ったのだが、牛車の前に一般庶民の人たちが立ちふさがっていて競べ馬を見ることができなかったので、それぞれ牛車を降りて競馬場の柵のそばにまで寄ったのだが、人が多く立ちこんで、分け入ることもできそうにない。
そんなときに、向かいにあるセンダンの木に、法師で、登って、木の枝のまたにちょこんと座って見物している者がいる。木にしがみつきながらたいそう眠たい様子で、落ちそうになってから目を覚ますことが何度もあった。これ(木の上で眠る男を)を見る人は、馬鹿にし軽蔑して
「ばか者だなぁ。あんな危ない枝の上で安心して眠るなんて」
と言っている。私は自分の心に思ったままに
「私たちに死が訪れるのは、今かもしれない。それを忘れて、何かの見物をして生活をしている。その愚かさはあの法師よりも勝っているのに。」
とつぶやいたところ、前にいた人たちが
「本当にその通りでございます。いかにも愚かですね。」
と言って、皆、私のいる後ろの方を振り向いて
「こちらへお入りください。」
と言って、場所を空けて呼び入れてくれた。これくらいの道理は誰もが思いつくことがないだろうか、いや思いつくのだろうけれど、ちょうどその時思いがけない心地がして、胸に(私の言ったことが)突き刺さったのだろう。人は、木や石(のように無感情なもの)ではないので、時によって、心打たれることがないわけではない。
単語・文法解説
侍り | 文章を丁寧にする言葉 |
雑人 | 一般庶民・召使 |
しか | 過去の助動詞「き」の已然形 |
埒(らち) | 競馬場の柵 |
きは | わき・そば |
ついゐ | ワ行上一段活用「ついゐる」連用形。のちょこんと座る |
あさむ | あきれる |
にもやあらん | 断定の助動詞「なり」の連用形「に」+係助詞「や」+ラ変補助動詞「あり」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形 |
尤も | いかにも |
誰かは思ひ寄らざらんなれども | 「か」は反語の係助詞+「ざら」は打消「ず」未然形+「ん」は推量「む」の連体形+「なれ」は断定「なり」の已然形 |
にや | 「や」には疑問と反語の意味があるが、ここでは疑問。格助詞「に」+係助詞「や」 |