はじめに
聖戦を行ったとされる十字軍は、どのような背景から生まれてきたのでしょう。このテキストでは、当時のヨーロッパ社会の様子を中心に、十字軍遠征の理由を見ていきましょう。
十字軍がおこった背景とは
十字軍は、なぜ11世紀のヨーロッパにおこったのでしょう。主な理由は以下のようなものであると考えられています。
聖地の存在と巡礼の流行
11世紀から12世紀にかけて、キリスト教の人々の間では、さまざまな場所が聖地として崇められていました。特に、三大聖地と言われた
ローマ・イェルサレム・サンティアゴ=デ=コンポステーラが多くの人々の巡礼地として人気を集めました。
イェルサレムはキリストの墓、ローマは聖ペテロの墓、サンティアゴ・デ・コンポステーラは聖ヤコブの墓があると信じられていました。ちなみにサンティアゴ・デ・コンポステーラは現在のスペイン北西にあります。
この聖地への巡礼は、当時のヨーロッパにおいて重要な活動となり、近隣のイスラム王朝との緊張も高まるばかりでした。
そのころ東方のビザンツ帝国はセルジューク朝との戦いに苦戦しており、キリスト教国の団結が必要とされていたのです。
また、これに関連して、
クリュニー修道院が聖地巡礼を後押しすると共に、キリスト教徒によるイベリア半島における
レコンキスタも本格化し始めます。
この時代、現在のスペインがあるイベリア半島は、大部分をイスラム王朝が支配していました。
農業の技術革新と人口増加
10世紀ころから、ヨーロッパ各地で農業の技術革新が始まりました。主な新技術は以下のようなものです。
新技術 | 内容 |
三圃制農業 | 耕作地を三分割して休閑地を設け、三年で一巡させる農業。二圃制よりも農業生産性が増した。 |
鉄製農具 | 従来の器具に比べ、強靭で扱いやすい農具。 |
重量有輪犁 | 牛馬を使って、土を掘り起こす道具。土を深く耕し、農業生産性が向上した。 |
水車 | 人工的に灌漑地に水を送る装置。 |
開放耕地制 | 耕地を仕切らずに耕す農法。 |
このような農業技術の向上によって食料の増産が可能となり、人口も爆発的に増加しました。この農業の生産性向上は、大開墾運動というものを引き起こします。
人口が増加した西ヨーロッパでは、特にドイツ諸侯や騎士、修道院によって
エルベ川以東への植民活動が盛んになりました。これにより、西ヨーロッパによる領域の拡大というものが始まりました。
セルジューク朝による聖地占領
東方のビザンツ帝国は三大聖地の一つである
イェルサレムを管理していました。しかし、11世紀に
セルジューク朝との戦いに敗れ、イェルサレムがイスラム王朝に占領されてしまいます。
これはキリスト教徒にとって耐え難い事件となりました。
こうした中、ビザンツ帝国の皇帝
アレクシオス1世は、ローマ教皇を通じて西ヨーロッパ世界に救援を求めました。このことが、十字軍結成の直接的な契機になったのです。