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平家物語『木曽の最期(木曾左馬頭、その日の装束には~)』わかりやすい現代語訳と解説
著作名: 走るメロス
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平家物語『木曽の最期・前編』の原文・あらすじ・現代語訳と解説

このテキストでは、平家物語の一説「木曾最期」(木曾左馬頭、その日の装束には~)の原文、わかりやすい現代語訳・口語訳とその解説を記しています。



平家物語とは

祇園精舎の鐘の声〜」で始まる一節で広く知られている平家物語は、鎌倉時代に成立したとされる軍記物語です。平家の盛者必衰、武士の台頭などが描かれています。


あらすじ

以仁王(もちひとおう:後白河法皇の子)の呼びかけに応じて、平氏を討つために源氏が立ち上がります。そのうちの一人が源義仲(木曽義仲)でした。入京した源義仲でしたが、後白河法皇の信頼を失ったために京都から追われ、源範頼・源義経率いる鎌倉軍と戦うこととなりました。戦いで敗れた源義仲が部下を引き連れて逃げていくところから、この話は始まります。





原文

木曾左馬頭、その日の装束には、赤地の錦の直垂に唐綾威(からあやおどし)の鎧着て、鍬形うつたる甲の緒しめ、いかものづくりの大太刀はき、石うちの矢の、その日のいくさにて少々のこつたるを、(※1)頭高負ひなし、滋籐の弓もつて、きこゆる木曾の鬼葦毛といふ馬の、きはめてふとうたくましいに、金覆輪の鞍おいてぞ乗つたりける。鐙ふんばり立ちあがり、大音声をあげて名のりけるは、





「昔は聞きけん物を、木曾の冠者、今は(※2)見るらむ。左馬頭兼伊予守朝日の将軍源義仲ぞや。甲斐の一条次郎とこそ聞け。たがひによきかたきぞ。義仲討つて、(※3)兵衛佐みせよや。」


とて、をめい駆く。一条の次郎、

只今なるのは大将軍ぞ。あますな者ども、もらすな若党、うてや。」


とて、大勢の中にとりこめて、我討つとらんとぞすすみける。木曾三百余騎、六千余騎が中をたてさま、よこさま、蜘蛛手、十文字にかけわつて、うしろへつっと出でたれば、五十騎ばかりになりにけり。そこを破つて行くほどに、土肥の二郎実平二千余騎で支へたり。それをも破つてゆくほどに、あそこでは四五百騎、ここでは二三百騎、百四五十騎、百騎ばかりが中をかけわりかけわりゆくほどに、主従五騎にぞなりにける。五騎が内まで(※4)巴はうたざれけり。




木曾殿、
「おのれは、とうとう、女なれば、いづちへもゆけ。我は打死せんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、木曾殿の最後のいくさに、女を具せられたりけりなんど、いはれん事もしかるべからず。」


宣ひけれども、なほおちもゆかざりけるが、あまりに言はれ奉つて、

「あっぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せ奉らん。」


とて、控へたるところに、武蔵国にきこえたる大力、御田八郎師重、三十騎ばかりで出で来たり。巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べ、むずと取つて引き落とし、我乗つたる鞍の前輪に押し付けてちつとも動かさず、首捻ぢ切つて(※5)捨ててんげり。その後物の具脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞ行く。手塚太郎討死す。手塚別当落ちにけり。


※つづき:平家物語「今井四郎、木曽殿、主従二騎になつてのたまひけるは~」現代語訳と解説





現代語訳

木曾左馬頭の、その日の装束は、赤い錦の直垂に唐綾威の鎧を着て、鍬形を打ち付けた兜の緒をしめて、立派な装飾がされた太刀をさして、石うちの矢で、その日の戦いで射て少し残っているものを、頭高にして背負い、滋籐の弓を持って、世に名高い木曾の鬼葦毛という馬で、非常に太くたくましいのに、金をあしらった鞍を置いて乗っていた。鎧を踏ん張って立ち上がり、大声をあげて名乗ったことには、





「昔耳にしたことがあるであろう、木曾の冠者(自分のこと)を、今は目にしていることであろうよ。(私が)左馬頭兼伊予守朝日の将軍源義仲である。(お前は)甲斐の一条次郎と聞く。お互いに(打ち合うには)いい敵だ。義仲を討ち取って、兵衛佐に見せるがよい。」


と大声で叫んで馬に乗って攻めて行く。一条の次郎は、
「たったいま(名乗った)のは大将軍だ。討ち残すな皆の者よ、取り逃がすな若者ども、討て。」






と言って、大勢の中に(木曽義仲を)取り囲んで、我こそが討ち取ろうと進んだ。木曽義仲勢三百余騎は、(敵勢)六千余騎の中を縦に、横に、四方八方に、十文字に駆け入って、(彼らの)後ろへさっと出たところ、(味方の軍勢は)五十騎ほどになっていた。(さらに)そこを打ち破って行くうちに、土肥の二郎実平が二千余騎で(行く手を)阻んでいる。それも打ち破って行くと、あそこでは四五百騎、二三百騎、百四五十騎、百騎ばかりの(敵の)中を何度も駆け破っていくうちに、(しまいには)主従五騎になってしまった。五騎のうちまで巴は討たれなかった。





木曽殿は、
「お前は、すぐに、女なのだから、どこへでも行きなさい。私は討ち死にしようと思っているのだ。もし人の手にかかるならば自害をするつもりなので、木曽殿は最期の戦いに、女をお連れになっていたなどと、言われる事はふさわしくない。」


とおっしゃったが、(巴は)それでも逃げて行こうとしなかったのだが、あまりに(何度も木曽殿が)仰るので、(巴は)

「ああ、良い敵がいないでしょうか。最期の戦いをしてお見せ申し上げたい。」


と言って、控えているところに、武蔵国に名高い力持ち、御田八郎師重が、三十騎ばかりで現れた。





巴はその中に駆け入り、御田八郎に(自分の馬を)強引に並べ、ぐいっとつかんで(馬から)引きずり落とし、自分の乗る(馬の)鞍の前輪に押し付けて少しも動身動きさせず、首をねじ切って捨ててしまった。その後武具を脱ぎ捨てて、東国の方へと逃げていった。手塚太郎は討ち死にした。手塚別当も敗走した。

※つづき:平家物語「今井四郎、木曽殿、主従二騎になつてのたまひけるは~」現代語訳と解説

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