東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
このテキストでは、
大鏡や
拾遺和歌集などに収録されている歌「
東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」の原文、現代語訳・口語訳と解説、そして品詞分解を記しています。詠者は
菅原道真です。
※拾遺和歌集には、
東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな
と収録されています。
原文
■大鏡Ver.
東風吹かば にほひ
おこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な
忘れそ
■拾遺和歌集Ver.
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
ひらがなでの読み方
■大鏡Ver.
こちふかば にほひおこせよ うめのはな あるじなしとて はるなわすれそ
■拾遺和歌集Ver.
こちふかば にほひおこせよ うめのはな あるじなしとて はるをわするな
現代語訳
■大鏡Ver.
(春になって)東の風が吹いたならば、その香りを(私のもとまで)送っておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、(咲く)春を忘れてくれるなよ。
■拾遺和歌集Ver.
(春になって)東の風が吹いたならば、その香りを(私のもとまで)送っておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、(咲く)春を忘れるなよ。
解説
拾遺和歌集の詞書には、「
右大臣であった菅原道真が、太宰の権の帥府に任命され、太宰府へと左遷されなさったとき、家の梅の花をご覧になって詠んだ歌」と記されています。
学者の身分でありながら、宇多天皇、醍醐天皇の信任を得て、右大臣にまで昇り詰めた菅原道真のことをよく思っていなかった、左大臣藤原時平をはじめとするアンチ菅原道真派の策略により、菅原道真は太宰府へと左遷されることとなりました。このとき、天皇は宇多天皇からその息子の醍醐天皇へと譲位されています。醍醐天皇の治世でも出世を続けた菅原道真でしたが、宇多天皇の退位により最大の後ろ盾を失ったことが、左遷を防げなかった大きな理由でした。
「東風/こち」は「春に東から吹く風」という意味ですが、京都から太宰府に吹く風は、道真にとっては東から吹く風ということになります。
文法
■句切れ
■二区切れ
品詞分解
※名詞は省略しています。
■大鏡
東風 | ー |
吹か | カ行四段活用「ふく」の未然形 |
ば | 接続助詞 |
にほひ | ー |
おこせよ | サ行下二段活用「おこす」の命令形 |
梅 | ー |
の | 格助詞 |
花 | ー |
あるじ | ー |
なし | ク活用の形容詞「なし」の終止形 |
とて | 格助詞 |
春 | ー |
な | 陳述の副詞 |
忘れ | ラ行下二段活用「わする」の連用形 |
そ | 終助詞 |
■拾遺和歌集
東風 | ー |
吹か | カ行四段活用「ふく」の未然形 |
ば | 接続助詞 |
にほひ | ー |
おこせよ | サ行下二段活用「おこす」の命令形 |
梅 | ー |
の | 格助詞 |
花 | ー |
あるじ | ー |
なし | ク活用の形容詞「なし」の終止形 |
とて | 格助詞 |
春 | ー |
を | 格助詞 |
忘る | ラ行下二段活用「わする」の終止形 |
な | 終助詞 |
著者情報:走るメロスはこんな人
学生時代より古典の魅力に取り憑かれ、社会人になった今でも休日には古典を読み漁ける古典好き。特に1000年以上前の文化や風俗をうかがい知ることができる平安時代文学がお気に入り。作成したテキストの総ページビュー数は1,6億回を超える。好きなフレーズは「頃は二月(にうゎんがつ)」や「月日は百代の過客(くゎかく)にして」といった癖のあるやつ。早稲田大学卒業。