平家物語
殿下乗合
その後入道相国、片田舎の侍どもの、こはらかにて、入道殿の仰せより外(ほか)は、またおそろしき事なしと思ふ者dも、難波・瀬尾(せのお)をはじめとして、都合六十余人召しよせ、
「来たる廿一日、主上御元服の御定めの為に、殿下御出あるべかむなり。いづくにても待ちうけ奉り、前駆・御随身どもがもとどりきって、資盛(すけもり)が恥すすげ」
とぞのたまひける。殿下これをば夢にもしろしめさず、主上明年御元服御加冠、拝官の御さだめの為に、御直盧(ごちょくろ)に暫く御座あるべきにて、常の御出でよりもひきつくろはせ給ひ、今度は待賢門(たいけんもん)より入御あるべきにて、中御門を西へ御出なる。猪熊堀川の辺に、六波羅の兵(つはもの)どもひた甲三百余騎待ちうけ奉り、殿下を中にとり籠めまゐらせて、前後より一度に時をどっとぞつくりける。前駆・御随身どもが、今日を晴れと装束いたるを、あそこに追ひかけ、ここに追ひつめ、馬よりとって引き落し、散々に凌轢して、一々にもとどりをきる。随身十人がうち、右の府生武基がもとどりもきられてけり。その中に藤蔵人大夫隆教がもとどりをきるとて、
「これは汝がもとどりと思ふべからず。主のもとどりと思ふべし」
といひふくめてきってける。その後は御車の内へも、弓のはずつき入れなどして、簾(すだれ)かなぐり落とし、御牛の鞦・胸懸きりはなち、かく散々にし散らして、悦(よろこ)びの時をつくり、六波羅へこそ参りけれ。入道、
「神妙なり」
とぞのたまひける。
つづき