平家物語
一行阿闍梨之沙汰
大講堂の庭に、輿かきすゑて僉議しけるは、
「そもそも我等、粟津に行き向かって、貫首をば奪ひとどめ奉りぬ。すでに勅勘をかうぶって流罪せられ給ふ人を、取りとどめ奉て、貫首にもちひ申さん事、いかがあるべからん」
と僉議す。戒浄坊ノ阿闍梨、また先の如く進み出でて僉議しけるは、
「それ当山は、日本無双の霊地、鎮護国家の道場、山王の御威光盛んにして、仏法・王法牛角なり。されば衆徒の意趣に至るまで、並びなくいやしき法師原までも、世を以て軽しめず。いはんや智恵高貴にして、三千の貫首たり。今は徳行おもうして、一山の和尚たり。罪なくして罪をかうぶる、これ山上・洛中の憤り、興福・園城のあざけりにあらずや。この時顕密のあるじを失って、数輩の学侶、蛍雪のつとめおこたらむ事心憂かるべし。詮ずるところ、祐慶張本に称ぜられて、禁獄・流罪もせられ、首をはねられん事、今生の面目、冥土の思ひ出なるべし」
とて、双眼より涙をはらはらと流す。大衆、
「尤(もっと)も尤も」
とぞ同じける。それよりしてこそ祐慶、いかめ房とは言はれけれ。その弟子に恵慶律師をば、時の人、小いかめ房とぞ申しける。
つづき