平家物語
烽火之沙汰
太政入道も、頼み切ったる内府はかやうにのたまふ。力もなげにて、
「 いやいやこれまでは思ひも寄りさうず。悪党共が申す事につかせ給ひて、僻事なんどや出で来むずらんと、思ふばかりでこそ候へ」
とのたまへば、大臣、
「たとひいかなる僻事出でき候ふとも、君をば何とかし参らせ給ふべき」
とて、つい立って中門に出で、侍共に仰せられけるは、
「只今重盛が申しつる事共をば、汝等承らずや。今朝よりこれに候うて、かやうの事共申し静めむとは存じつれども、あまりにひた騒ぎに見えつる間、帰りたりつるなり。院参の御供に於いては、重盛が首の召されけむを見て仕れ。さらば人参れ」
とて、小松殿へぞ帰られける。
主馬判官盛国を召して、
「重盛こそ天下の大事を別して聞き出だしたれ。我を我と思はん者共は、皆物具して馳せ参れと披露せよ」
とのたまへば、この由披露す。
「おぼろげにては騒がせ給はぬ人の、かかる披露のあるは、別の子細のあるにこそ」
とて、皆物具して、我も我もと馳せ参る。淀・はづかし・宇治・岡屋・日野・勧修寺・醍醐・小栗栖・梅津・桂・大原・しづ原・芹生の里にあぶれゐたる兵共、或いは鎧着て未だ甲を着ぬもあり、或いは矢負うて未だ弓を持たぬもあり。片鐙踏むや踏まずにてあはて騒いで馳せ参る。
つづき