平家物語
願立
「賀茂川の水、双六の賽(さい)、山法師、これぞ我が心に叶はぬもの」
と白河院も仰せなりけるとかや。鳥羽院の御時、越前の平泉寺を山門へつけられけるには、
「当山を御帰依(ごきえ)あさからざるによって、非をもって理とす」
と宣下せられて、院宣をば下されけれ。江帥匡房卿の申されしやうに、
「神輿を陣頭へ振り奉りて訴へ申さんには、君はいかが御ばからひ候ふべき」
と申されければ、
「げにも山門の訴訟はもだし難し」
とぞ仰せける。
去(いん)じ嘉保二年三月二日、美濃守源義綱朝臣、当国新立の庄を倒す間、山の久住者円応を殺害す。これによって日吉の社司、延暦寺の寺官、都合丗(さんじゅう)余人申文をささげて、陣頭へ参じけるを、後二条関白殿、大和源氏中務権少輔頼春に仰せてこれをふせかせらる。頼春が郎等矢を放つ。矢庭に射殺さるる者八人、疵を蒙る者十余人、社司・諸司、四方へ皆散りぬ。山門の上綱等、子細を奏聞の為に下洛すと聞こえしかば、武士・検非違使・西坂本に馳せ向かって、皆追っ返す。
山門には、御裁断遅々の間、七社の神輿を根本中堂に振り上げ奉り、その御前にて、真読の大般若を七日読ふで、関白殿を呪咀(じゅそ)し奉る。結願の導師には、仲胤法印、そのころは未だ仲胤供奉と申ししが、高座にのぼり鐘打ち鳴らし、表白の詞(ことば)に曰く、
「我等が菜種の二葉より、おほしたて給ふ神たち、後二条関白殿に、鏑矢一つ放ち当て給へ、大八王子権現」
と高らかにぞ祈誓したりける。やがてその夜不思議の事あり。八王子の御殿より、鏑矢の声出でて、王城を指して、鳴ってゆくとぞ、人の夢には見えたりける。
つづき