十訓抄『博雅の三位と鬼の笛』
このテキストでは、
十訓抄の一節『
博雅(はくが)の三位(さんみ)と鬼の笛』(博雅の三位、月の明かかりける夜、直衣にて、朱雀門の前に遊びて〜)のわかりやすい現代語訳(口語訳)とその解説を記しています。
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十訓抄は鎌倉中期の説話集です。編者は未詳です。
原文
博雅の三位、月の明かかりける夜、
直衣にて、朱雀門の前に
遊びて、夜もすがら笛を吹かれけるに、同じさまに、直衣着たる男の、笛
吹きければ、誰ならむと思ふほどに、その笛の音、この世にたぐひなく
めでたく聞こえければ、
あやしくて、近寄りて見ければ、いまだ見ぬ人なりけり。我もものをも言はず、かれも言ふことなし。かくのごとく、月の夜ごとに行きあひて吹くこと、夜ごろになりぬ。
かの人の笛の音、ことにめでたかりければ、試みに、かれを取りかへて吹きければ、世になきほどの笛なり。そののち、なほなほ月ごろになれば、行きあひて吹きけれど、
「もとの笛を返し取らむ。」
とも言はざりければ、長くかへて
やみにけり。三位失せてのち、帝、この笛を召して、時の笛吹きどもに吹かせらるれど、その音を吹きあらはす人なかりけり。
そののち、浄蔵といふ、めでたき笛吹きありけり。召して吹かせ給ふに、かの三位に劣らざりければ、帝、
御感ありて、
「この笛の主、朱雀門のあたりにて得たりけるとこそ聞け。浄蔵、このところに行きて、吹け。」
と仰せられければ、月の夜、仰せのごとく、かれに行きて、この笛を吹きけるに、かの門の楼上に、高く大きなる音にて、
「なほ逸物かな。」
と褒めけるを、かくと奏しければ、初めて鬼の笛と知ろしめしけり。葉二と名づけて、天下第一の笛なり。
現代語訳(口語訳)
博雅の三位という人が、月の光が明るかった夜に、直衣姿で朱雀門の前に散歩しにいき一晩中笛をお吹きにったときのことです。自分と同じように直衣を着た男性が笛を吹いていたので、(博雅の三位は)誰だろうと思っていたのですが、その笛の音がこの世のものとは思えないほど素晴らしく聞こえたので、不思議に思って(その男性)に近づいてみると、今まで見たことのないような人でした。博雅の三位は何も口にしないですし、その人も何も言いません。このように、月夜のたびに行き会って、笛を一緒に吹くことが幾晩も続きました。
その人の笛の音が特にすばらしかったので、博雅の三位は自分の笛とその人の笛とを交換して吹いてみたのですが、この世にまたとないほどの笛です。その後も、月夜の晩になると、2人は互いに行き会って一緒に笛を吹いたのですが、
「もとの笛を返してもらおう。」
と、その人は言わなかったので、そのまま長くお互いの笛を交換したままになってしまいました。博雅の三位がなくなってしまったのちに、帝はこの笛をお召になって、当時の笛吹きたちに吹かせなさったのですが、博雅の三位が出したような音を出せる者はいませんでした。
その後、浄蔵という素晴らしい笛吹きがおりました。帝はこの者をお呼びになって笛をお吹かせになったところ、その音色は博雅の三位の音色に劣らなかったので、帝は感心なさって、
「この笛の持ち主は、朱雀門のあたりでこの笛を手にいれたと聞いた。浄蔵よ、この場所に行って笛を吹きなさい。」
とおっしゃられたので、浄蔵は月夜の晩に、帝から仰せつかったようにその場所に行ってこの笛を吹きました。そうすると例の門の楼上から大きな声で、
「やはり(その笛は)優れ物だなぁ。」
と褒めた(声がきこえました)。浄蔵はこのようなことがありましたと帝に報告申し上げたところで初めて、帝は、この笛が鬼の笛であるとお知りになられたのです。この笛は葉二と名付けられて、天下第一の笛となったのです。
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