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蜻蛉日記原文全集「夜のあくるままに見やりたれば」

著者名: 古典愛好家
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蜻蛉日記

夜のあくるままに見やりたれば

夜のあくるままに見やりたれば、東(ひんがし)に風はいとのどかにて霧たちわたり、川のあなたは絵にかきたるやうに見えたり。川づらに放ち馬どものあさりありくもはるかに見えたり。いとあはれなり。二なく思ふ人をも人目によりてとどめおきてしかば、いで、はなれたるついでに死ぬるたばかりをもせばやと思ふには、まづこのほだしおぼえてこひしうかなし。涙のかぎりをぞつくしはつる。

男どものなかには

「これよりいと近かなり、いざ佐久那谷(さくなだに)みにはゐてもくちひきすごすと聞くぞからかなるや」


などいふを聞くに、さて心にもあらず引かれゐなばやと思ふに、かくのみ心つくせばものなども食はれず。

「しりへの方なる池に、しぶきといふ物生ひたる」


といへば、

「とりてもて来(こ)」


といへば、もて来(き)たり。深笥(みかけ)にあへしらひて、柚おし切りてうちかざしたるぞ、いとをかしうおぼえたる。

さては夜になりぬ。御堂にてよろづ申し泣きあかして、あか月がたにまどろみたるに見ゆるやう、この寺の別当とおぼしき法師、銚子に水をいれてもて来(き)て、右のかたの膝にいかくと見る。ふとおどろかされて、仏のみせ給ふにこそはあらめと思ふに、まして物ぞあはれにかなしくおぼゆる。

「明けぬ」


といふなれば、やがて御堂よりおりぬ。まだいとくらけれど、うみのうへしろく見えわたりて、さいふいふ人廿人ばかりあるを、のらんとする舟のきしかげのかたへばかりにみくだされたるぞ、いとあはれにあやしき。御灯明(みあかし)たてまつらせし僧の、みおくるとて岸に立てるに、たださし出でにさし出でつれば、いと心ぼそげにて立てるを見やれば、かれは目なれにたらん心に、かなしくやとまりて思ふらんとぞみる。男ども

「いま、来年の夏ごろまゐらんよ」


とよばひたれば、

「さなり」


とこたへて、とほくなるままに影のごと見えたるも、いとかなし。空を見れば月はいとほそくて、影はうみのおもてにうつりてある。風うちふきてうみのおもていとさはがしうさらさらとさはぎたり。わかき男ども

「声ほそやかにておもやせにたる」


といふ歌をうたひ出でたるをきくにも、つぶつぶと涙ぞおつる。


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・蜻蛉日記原文全集「夜のあくるままに見やりたれば」

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The University of Virginia Library Electronic Text Center and the University of Pittsburgh East Asian Library http://etext.lib.virginia.edu/japanese/
長谷川 政春,伊藤 博,今西 裕一郎,吉岡 曠 1989年「新日本古典文学大系 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記」岩波書店

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