平家物語
教訓状
大臣は舎弟宗盛卿の座上に着き給ふ。入道ものたまひ出だす旨もなし。大臣も申出ださるる事もなし。ややあって入道のたまひけるは、
「成親卿が謀反は、事の数にもあらず、一向法皇の御結構にてありけるぞや。世を鎮めんほど、法皇を鳥羽の北殿へうつし奉るか、しからずはこれへまれ、御幸を成し参らせんと思ふはいかに」
とのたまへば、大臣聞きもあへず、はらはらとぞ泣かれける。入道、
「いかにいかに」
とあきれ給ふ。大臣涙を押さへて申されけるは、
「この仰せ承り候ふに、御運ははや末になりぬと覚え候ふ。人の運命の傾かんとては、必ず悪事を思ひ立ち候ふなり。また御有様、更にうつつとも覚え候はず。さすが我が朝は、辺地粟散の境と申しながら、天照大神の御子孫、国の主として、天の児屋根の尊の御末、朝の政をつかさどり給ひしよりこのかた、太政大臣の官に至る人の、甲冑をよろふ事、礼儀を背くにあらずや。就中御出家の御身なり。それ三世の諸仏、解脱同相の法衣を脱ぎ捨て、たちまちに甲冑をよろひ、弓箭を帯しましまさん事、内には既に破戒無慙の罪を招くのみならず、外にはまた仁義礼智信の法にも背き候ひなんず。かたがた恐れある申し事にて候へども、心の底に旨趣を残すべきあらず。
つづき