蜻蛉日記
湯屋に物など敷きたりければ行きて臥しぬ
湯屋に物など敷きたりければ行きて臥しぬ。心ちせんかたしらずくるしきままに、臥しまろびぞ泣かるる。夜になりて湯など物して、御堂(みどう)にのぼる。身のあるやうを仏に申すにも、なみだにむせぶばかりにて、いひもやられず。夜うちふけて外の方を見出だしたれば、堂はたかくて、下は谷とみえたり。片岸に木ども生(お)ひこりて、いとこぐらかりたる、廿日月夜ふけていとあかかりけれど、木かげにもりて、ところどころに来し方ぞ見えわたりたる、見下ろしたれば麓(ふもと)にある泉は鏡のごと見えたり。高欄(こうらん)におしかかりて、とばかりまもりゐたれば、片岸に草のなかにそよそよ白みたるもの、あやしき声するを
「こはなにぞ」
と問ひたれば、
「鹿のいふなり」
といふ。などか例の声には鳴かざらんと思ふほどに、さしはなれたる谷の方より、いとうらわかき声にはるかにながめ鳴きたなり。聞く心ちそらなりといへばおろかなり。おもひいりておこなふ心ち、ものおぼえでなほあれば、見やりなる山のあなたばかりに、田守(たもり)の物おひたる声、いふかひなくなさけなげにうちよばひたり。かうしもとり集めて肝をくだくことおほからんと思ふぞ、はてはあきれてぞゐたる。さて後夜(ごや)おこなひつればおりぬ。身よわければ湯屋にあり。