蜻蛉日記
いかが崎、山吹の崎などいふところどころ見やりて
いかが崎、山吹の崎などいふところどころ見やりて、蘆(あし)のなかよりこぎ行く。まだ物たしかにも見えぬほどに、はるかなる梶(かぢ)のおとして心ぼそくうたひくる舟あり。ゆきちがうほどに
「いづくのぞや」
と問ひたれば、
「石山へ、人の御むかへに」
とぞこたふなる。この声もいとあはれにきこゆなり。いひおきし、をおそく出でくればかしこなりつるして出でぬれば、たがひていくなめり。とどめて男どもかたへはのりうつりて、心のほしきにうたひ行く。瀬田の橋の本ゆきかかるほどにぞ、ほのぼのと明けゆく。千鳥うちかけりつつとびちがふ。もののあはれにかなしきこと、さらに数なし。さてありし浜辺にいたりたれば、むかへの車いてきたり。京に巳(み)の時ばかり、いき着きぬ。これかれ集まりて
「世界にささなどいひさわぎけること」
などいへば
「さもあらばれ、いまはなほをしかるべき身かは」
などぞこたふる。