蜻蛉日記
廿五六日のほどに
廿五六日のほどに、西の宮の左大臣、ながされたまふ。見たてまつらんとて、天の下ゆすりて、西の宮へ人はしりまどふ。いといみじきことかなときくほどに、人にも見え給はで、逃げ出でたまひにけり。
「愛宕(あたご)になん」
「清水(きよみづ)に」
などゆすりて、つゐに尋ねいでて、ながしたてまつると聞くに、あいなしと思ふまでいみじうかなしく、心もとなき身だに、かく思ひ知りたる人は、袖をぬらさぬといふたぐひなし。あまたの御子どもも、あやしき国々の空になりつつ行くへも知らず散りぢりわかれたまふ。あるは御髪(みぐし)おろしなど、すべて、いへばおろかにいみじ。大臣も法師になりたまひにけれど、しひて帥(そち)になしたてまつりて追ひくだしたてまつる。そのころほひ、ただこのことにてすぎぬ。身のうへをのみする日記(にき)には入るまじきことなれども、かなしと思ひいりしも誰れならねば、しるしおくなり。