淑景舎、春宮に
其の一
しばしありて、式部丞なにがし、御使ひにまゐりたれば、御膳やどりの北によりたる間に、褥(しとね)さしいだしてすゑたり。御返答はとくいでさせ給ひつ。まだ褥もとりいれぬ程に、春宮の御使ひに周頼(ちかより)の少将まゐりたり。御文取り入れて、渡殿はほそき縁なれば、こなたの縁に、こと褥さしいだしたり。御文とり入れて、殿、上、宮など、御覧じわたす。
「御返し、はや」
とあれど、とみにも聞こえ給はぬを、
「なにがしか見侍れば、かき給はぬなめり。さらぬをりはこれよりぞ、間もなく聞こえ給ふなる」
など申し給へば、御おもては少しあかみて、うちほほゑみ給へる、いとめでたし。
「まことにとく」
など、上も聞こえ給へば、奥に向きてかい給ふ。上、ちかうより給ひて、もろともに、かかせたてまつり給へば、いとどつつましげなり。宮の御方より、萌黄(もえぎ)の織物の小袿袴、おしいでたれば、三位の中将かづけ給ふ。首くるしげに思うてもちたちぬ。
松君の、をかしうもののたまふを、たれもたれもうつくしがり聞こえ給ふ。
「宮の御みこたち、とてひきいでたらむに、わるく侍らじかし」
などのたまはするを、げに、などかさる御事の今まで、とぞ心もとなき。
未(ひつじ)の時ばかりに、
「筵道(えんだう)まゐる」
などいふ程もなく、うちそよめきていらせ給へば、宮もこなたへいらせ給ひぬ。やがて御帳にいらせ給ひぬれば、女房も南おもてに皆そよめきゐぬめり。廊に殿上人にとおほかり。殿の御前に宮司めして、
「くだもの、さかななどめさせよ。人々酔はせ」
など仰せらるる。誠にみなゑひて、女房とものいひかはす程、かたみにをかしと思ひためり。
日の入る程におきさせ給ひて、山の井の大納言めし入て、御袿まゐらせ給ひて、かへらせ給ふ。桜の御直衣に紅の御衣ぞ祐えなども、かしこければとどめつ。山の井の大納言は、いりたたぬ御せうとにては、いとよくおはするぞかし。にほひやかなるかたは、この大納言にもまさり給へるものを。かく世の中の人は、せちにいひおとしきこゆるこそ、いとほしけれ。殿、大納言、山の井も、三位の中将、内蔵頭(くらのかみ)などさbらひ給ふ。
宮のぼらせ給ふべき御使ひにて、馬の内侍のすけまゐりたり。
「こよひはえなむ」
などしぶらせ給ふに、殿きかせ給ひて
「いとあしき事。はやのぼらせ給へ」
と申させ給ふに、春宮の御使ひしきりてあるほど、いとさはがし。おほんむかへに、女房、春宮の侍従などいふ人もまゐりて、
「とく」
とそそのかしきこゆ。
「まづ、さは、かの君わたしきこえ給ひて」
とのたまはすれば、
「さりとも、いかでか」
とあるを、
「見をくりきこえむ」
などのたまはする程も、いとめでたくをかし。
「さらば、とをきをさきにすべきか」
とて、淑景田(しげいさ)わたりたまう。殿などかへらせ給ひてぞのぼらせ給ふ。道の程も殿の御猿楽言にいみじう笑ひて、ほとほと打橋よりも落ちぬべし。