故殿の御服のころ
故殿の御服のころ、六月のつごもりの日、大祓といふことにて、宮のいでさせ給ふべきを、職の御曹司をかた悪しとて、官の司の朝所(あいたどころ)にわたらせ給へり。その夜さり、暑くわりなき闇にて、なにともおぼえず、せばくおぼつかなくてあかしつ。つとめて、見れば、屋のさまいとひらにみじかく、瓦ぶきにて唐めきさまことなり。例のやうに格子などもなく、めぐりて御簾ばかりをぞかけたる。なかなかめづらしくてをかしければ、女房、庭におりなどしてあそぶ。前裁(せんざい)に萱草(くわんそう)といふ草を、ませゆひて、いとおほくうゑたりける。花のきはやかに、ふさなりて咲きたる、むべむべしき所の前裁にはいとよし。時司(ときつかさ)などはただかたはらにて、鼓の音も例のには似ずぞ聞こゆるを、ゆかしがりて、わかき人々二十人ばかり、そなたにいきて、階よりたかき屋にのぼりたるを、これより見あぐれば、あるかぎり薄鈍(うすにび)の裳、唐衣、おなじ色の単襲、くれなゐの袴どもを着てのぼりたるは、いと天人などこそえいふまじけれど、空よりおりたるにや、とぞ見ゆる。おなじわかきなれど、おしあげたる人は、えまじらで、うらやましげに見あげたるも、いとをかし。
左衛門の陣までいきて、倒れさわぎたるもあめりしを、
「かくはせぬことなり。上達部のつき給ふ椅子などに、女房どものぼり、上官などのゐる床子(さうじ)どもを、みなうち倒しそこなひたり」
など、くすしがるものどもあれど、聞きも入れず。
屋のいとふるくて、瓦ぶきなればにやあらむ、暑さの世にしらねば、御簾の外にぞ夜も出で来(き)ふしたる。ふるき所なれば、むかでといふもの、日一日おちかかり、蜂の巣のおほきにて、つき集まりたるなどぞ、いとおそろしき。
殿上人日ごとに参り、夜も居あかしてものいふをききて、
「豈(あに)はかりきや、太政官の地の、今夜行の庭とならむことを」
と誦(ず)しいでたりしこそ、をかしかりしか。
秋になりたれど、かたへだにすずしからぬ風の、所がらなめり、さすがに虫の声など聞こえたり。八日ぞかへらせ給ひければ、七夕祭、ここにては例よりも近う見ゆるは、ほどのせばければなめり。
宰相中将斉信(ただのぶ)、宣方(のぶかた)の中将、道方の少納言など参り給へるに、人々出でてものなどいふに、ついでもなく、
「明日はいかなることをか」
といふに、いささか思ひまはしとどこほりもなく、
「人間の四月をこそは」
といらへ給へるが、いみじうをかしきこそ。
過ぎにたることなれども、心えていふは、誰もをかしき中に、女などこそさやうのものわすれはせね、男はさしもあらず、よみたる歌などをだになまおぼえなるものを、まことにをかし。内なる人も外なるも、心得ずと思ひたるぞことわりなる。
この四月の一日ごろ、細殿の四の口に殿上人あまた立てり。やうやうすべり失せなどして、ただ頭中将、源中将、六位ひとりのこりて、よろづのことをいひ、経よみ、歌うたひなどするに、
「あけはてぬなり。かへりなむ」
とて、
「露はわかれの涙なるべし」
といふことを、頭中将のうちいだし給へれば、源中将ももろともに、いとをかしく誦(ず)んじたるに、
「いそぎける七夕かな」
といふを、いみじうねたがりて、
「ただあかつきのわかれ一筋を、ふとおぼえつるままにいひて、わびしうもあるかな。すべて、このわたりにて、かかること、思ひまはさずいふは、いとくちをしきぞかし」
など、返す返すわらひて、
「人にな語り給ひそ。かならずわらはれなむ」
といひて、あまりあかうなりしかば、
「葛城の神、いまぞずちなき」
とて、逃げおはしにしを、七夕のをりにこのことをいひいでばやと思ひしかど、宰相になり給ひにしかば、かならずしもいかでかは、そのほどに見つけなどもせむ、ふみかきて、殿司(とものづかさ)してもやらむ、など思ひしを、七日に参り給へりしかば、いとうれしくて、その夜のことなどいひいでば、心もぞえ給ふ、ただすずろにふといひたらば、あやしなどやうちかたぶき給ふ、さらばそれにを、ありしことばいはむ、とてあるに、つゆおぼめかでいらへ給へりしは、まことにいみじうをかしかりき。月ごろいつしかと思はへたりしだに、わが心ながらすきずきしとおぼえしに、いかでさ思ひまうけたるやうにのたまひけむ。もろともにねたがりいひし中将は、おもひもよらでゐたるに、
「ありし暁のこと、いましめらるるはしらぬか」
とのたまふにぞ、
「げに、げに」
とわらふめる、わろしかし。
其の二