世界恐慌で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
世界恐慌とその影響
・1929年10月24日木曜日、
ニューヨーク株式取引所(ウォール街)で、企業の株価が暴落したことがきっかけとなり、
世界恐慌がはじまった。この日は
暗黒の木曜日といわれ、世界各国で企業や銀行が連鎖倒産し、失業者が瞬く間に増加した。
・世界恐慌の原因として、大きく分けて次の3つの理由があった。
(1)アメリカ国内の農民は、第一次世界大戦後の農業生産物の価格下落により、購買力が低下していた。(2)戦前から戦後にかけて、過剰な設備投資が行われ、生産過剰の状況となっていた。(3)アメリカのスムート=ホーレー法(1930年)をはじめ、各国で高関税政策が行われ、貿易が世界的に縮小していた。これらが、世界恐慌の原因であった。
・アメリカ合衆国第31代大統領
フーヴァーは、就任直後にアメリカの永遠の繁栄を唱える演説をしたが、同年に恐慌が発生し、自由放任政策に徹して不況を放置した。多額のアメリカ資本が導入されていた復興国のドイツでは、企業や銀行が次々と倒産した。こうした状況の中、1931年にはドイツ救済のために戦債・賠償支払いを一ヶ月猶予する
フーヴァー=モラトリアムが行われたが、決定が遅く効果がなかった。
ニューディール政策
・フーヴァーの後に大統領に就任した民主党出身の第32代
フランクリン=ロ(ル)ーズヴェルトは、世界恐慌への対策を積極的に行った。ローズヴェルトは、新規まき直しという意味の
ニューディール政策を進め、自由放任主義を改め、イギリスの経済学者
ケインズが唱えた国家が経済に積極的に関与する
修正資本主義政策を採用した。
・ニューディール政策では
農業調整法(AAA)や
全国産業復興法(NIRA)、
テネシー川流域開発公社(TVA)などが行われた。こうした政策により、失業者が吸収され、国民の購買力を増やそうとした。加えて、1935年の
ワグナー法で労働者の権利が拡大し、
社会保障法で失業保険・退職金・老齢年金などが決められた。また、
アメリカ労働総同盟(AFL)に対抗し、
産業別組織会議(CIO)も組織された。
・対外的にローズヴェルト政権は
善隣外交を行い、
1933年には
ソ連を承認し、1934年には
キューバ独立を承認し、1935年には
フィリピンの自治を認めた。
・隣国
メキシコでは、
カルデナス大統領のもと教育制度拡充や工業化、民主化が進んだ。また、ブラジルでも
ヴァルガス大統領のもと労働者保護や資源国有化など民族主義政策が行われた。
ブロック経済
・イギリスでは、第2次マクドナルド内閣が失業保険の削減を目指し労働党の支持を失って倒れたが、1931年から1935年まで新たに恐慌を克服するため保守党・自由党と組み、
マクドナルド挙国一致内閣が成立した。マクドナルドは労働党から除名されたが、1931年には
金本位制を停止し、翌年
オタワ連邦会議で
ブロック経済方式が採択され、恐慌克服に乗り出した。
・世界恐慌は各国に広がり、それぞれ対策に追われた。イギリスやフランスは世界恐慌への対策として、海外植民地と本国との間に
特恵関税制度をもとに、それぞれの地域(ブロック)ごとに排他的な経済政策である
ブロック経済を実施した。フランスの
フラン=ブロック、アメリカの
ドル=ブロック、イギリスの
スターリング=ブロック(ポンド=ブロック)などが代表例である。植民地を持たず、こうした経済圏から締め出された
日本・ドイツ・イタリアなどは、侵略戦争によって自らのブロック形成を目指すようになった。