蜻蛉日記
かくて四月になりぬ
かくて四月になりぬ。十日よりしも、また五月十日許(ばかり)まで、
「いとあやしくなやましき心ちになんある」
とて、例のやうにもあらで、七八日おほとのにて、
「念じてなん、おぼつかなさに」
などいひて、
「夜のほどにてもあれば、かくくるしうてなん、内裏(うち)へもまゐらねば、かくありきけりと見えんも、便(びん)なかるべし」
とて帰りなどせし人、おこたりてと聞くに、まつほど過ぐる心ちす。あやしと、人知れずこよひをこころみんと思ふほどに、はては消息だになくてひさしくなりぬ。めづらかにあやしと思へど、つれなしをつくりわたるに、夜は世界の車の声にむねうちつぶれつつ、ときどきは寝入りて、明けにけるはと思ふにぞ、ましてあさましき。をさなき人かよひつつ聞けど、さるはなでふこともなかなり。いかにぞとだに問ひふれざなり。ましてこれよりは、なにせんにかはあやしともものせんと思ひつつ、暮らし明かして、格子などあぐるに、見出だしたれば、夜、雨のふりけるけしきにて、木ども、露かかりたり。見るままにおぼゆるやう、
よのうちはまつにもつゆはかかりけり あくればきゆるものをこそ思へ