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枕草子 原文全集「故殿の御服のころ」 其の二

著者名: 古典愛好家
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故殿の御服のころ

其の一

人と物いふことを碁になして、ちかう語らひなどしつるをば、

「手ゆるしてけり。結(けち)さしつ」


などいひ、

「男は手うけむ」


などいふことを、人はえ知らず、この君と心えていふを、

「なにぞ、なにぞ」


と源中将はそひつきていへど、いはねば、かの君に、

「いみじう、なほこれのたまへ」


とうらみられて、よきなかなれば聞かせてけり。あへなくちかくなりぬるをば、

「おしこぼちのほどぞ」


などいふ、我も知りにけりと、いつしか知られむとて、

「碁盤侍りや。まろと碁うたむとなむ思ふ。手はいかが。ゆるし給はむとする。頭中将とひとし碁なり。なおぼしわきそ」


といふに、

「さのみあらば、さだめなくや」


といひしを、またかの君に語りきこえければ、

「うれしういひたり」


とよろこび給ひし。なほすぎにたること忘れぬ人は、いとをかし。

宰相になり給ひしころ、上の御前にて、

「詩をいとをかしう誦じ侍るものを。蕭會稽之過古廟なども、誰かいひ侍らむとする。しばしならでもさぶらへかし。くちをしきに」


など申ししかば、いみじうわらはせ給ひて、

「さなむいふとて、なさじかし」


などおほせられしもをかし。されど、なり給ひにしかば、まことにさうざうしかりしに、源中将おとらず思ひて、ゆゑだち遊びありくに、宰相中将の御うへをいひいでて、

「『いまだ三十の期に及ばず』といふ詩を、さらにこと人に似ず誦じ給ひし」


などいへば、

「などてかそれにおとらむ。まさりてこそせめ」


とてよむに、

「さらに似るべくだにあらず」


といへば、

「わびしのことや。いかであれがやうに誦ぜむ」


とのたまふを、

「三十の期、といふ所なむ、すべていみじう愛敬づきたりし」


などいへば、ねたがりてわらひありくに、陣につき給へりけるを、わきによびいでて、

「かうなむいふ。なほそこもと教へ給へ」


とのたまひければ、わらひて教へけるもしらぬに、局のもとにきて、いみじうよく似せてよむに、あやしくて、

「こは誰そ」


と問へば、笑みたる声になりて、

「いみじきことをきこえむ。かうかう、昨日陣につきたりしに、とひききたるに、まづ似たるななり。『誰ぞ』と、にくからぬけしきにてとひ給ふは」


といふも、わざとならひ給ひけむがをかしければ、これだに誦ずれば出でてものなどいふを、

「宰相中将の徳をみること。その方に向ひて拝むべし」


などいふ。下にありながら、

「上に」


などいはするに、これをうちいづれば、

「まことはあり」


などいふ。御前にも、かくなど申せば、わらはせ給ふ。

内裏の御物忌なる日、右近の将監みつなにとかやいふものして、畳紙にかきておこせたるをみれば、

「参ぜむとするを、今日明日の御物忌にてなむ。三十の期に及ばずはいかが」


といひたれば、返りごとに、

「その期は過ぎ給ひにたらむ。朱買臣が妻を教へけむ年にはしも」


とかきてやりたりしを、またねたがりて、上の御前にも奏しければ、宮の御方にわたらせ給ひて、

「いかでさることは知りしぞ。『三十九なりける年こそ、さはいましめけれ』とて、『宣方はいみじういはれにたり』といふめるは」


とおほせられしこそ、ものぐるほしかりける君とこそおぼえしか。




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・枕草子 原文全集「故殿の御服のころ」 其の二

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渡辺実 1991年「新日本古典文学大系 枕草子・方丈記」岩波書店
松尾聰,永井和子 1989年「完訳 日本の古典 枕草子」小学館
萩谷朴 1977年「新潮日本古典集成 枕草子 下」 新潮社

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