天平文化
律令制度は中央集権的な国家運営が目指され、その結果日本各地から様々な富が中央に集まりました。皇族や貴族は、これらの富を享受し、平城京を中心に貴族文化が花開きました。
この文化を
聖武天皇の時代の年号から
天平文化と呼びます。天平文化は、遣唐使がもたらした国際的な影響や、当時盛んとなった仏教を中心とした文化になりました。
記紀の編集
同時期、当時の国家意識を反映し、朝廷の統治の正当性や、国家発展の歴史を遺すため、
国史の編纂が行われるようになります。天武天皇の時代にはじまった国史の編纂事業は、奈良時代に『
古事記』や『
日本書紀』として完成しました。
712年(和銅5年)に成立した『古事記』は、朝廷に古くから伝わる「帝紀」「旧辞」をもとにし、天武天皇が
稗田阿礼(ひえだのあれ)に読みならわせた内容を太安万侶が3巻に筆録したものです。その内容は、天地創造や日本の国生みにはじまり、天孫降臨、神武天皇の東征、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の地方征討などの神話から推古天皇に至るまでが記されています。
『日本書紀』は、720年(養老4年)に成立し、
舎人親王が中心となって中国の歴史書にならい編纂され、漢文により編年体で書かれました。30巻からなり、神話の時代から持統天皇に至る天皇を中心とした内容が記されています。
朝廷による歴史編纂事業はその後も続き、『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』の漢文正史が編纂され、これらを総称して「六国史」と呼びます。