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18_80 東アジア世界の形成と発展 / 東アジア文化圏の形成(隋・唐帝国と諸地域)

ブハラとは わかりやすい世界史用語753

著者名: ピアソラ
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ブハラとは

ブハラは、ウズベキスタンのブハラ州に位置する歴史的な都市であり、シルクロードの重要な拠点として知られています。ブハラは、古代から現代に至るまで多くの文化、宗教、商業の中心地として栄えてきました。

ブハラの歴史は非常に古く、紀元前5世紀にはすでに城壁を持つ要塞都市が存在していたことが考古学的に確認されています。この地域は、古代ペルシア帝国の影響を受けたイラン系の文明が発達し、ソグド人の都市国家が建設されました。ソグド人の商人たちは東西交易の仲介者として活躍し、中国の記録には「安国」として登場します。

8世紀初頭にはイスラム帝国の勢力が及び、709年にウマイヤ朝のホラーサーン総督クタイバ・イブン=ムスリムによって征服されました。その後、ブハラはイスラム教の重要な拠点となり、9世紀後半にはサーマーン朝の首都として繁栄しました。サーマーン朝時代には、ペルシア語文学の中心地としても知られ、多くの文化施設が建設されました。

13世紀にはモンゴル帝国の征服を受け、一時的に荒廃しましたが、15世紀にはティムール朝の支配下で再び復興しました。16世紀後半にはウズベク人のシャイバーン朝がブハラを実質上の首都と定め、再び拡大しました。19世紀後半にはロシア帝国の保護国となり、ブハラ・アミール国として存続しました。



文化

ブハラは、イスラム文化の中心地として多くの歴史的建造物が残されています。特に有名なのは、ポイ・カリヤン・モスクとカリヤン・ミナレット、イスマーイール・サーマーニー廟、アルク城、チョール・ミノールなどです。これらの建造物は、ユネスコの世界遺産に登録されており、ブハラの豊かな歴史と文化を象徴しています。

ブハラはまた、イスラム教学の中心地としても重要な役割を果たしてきました。「ブハーラーイ・シャリーフ(聖なるブハラ)」と呼ばれ、多くのムスリムが巡礼や修学に訪れる宗教都市でもあります。ブハラの宮廷では、ペルシア語とチャガタイ語の文芸運動が隆盛し、多くの詩人や学者が活躍しました。

経済

ブハラの経済は、歴史的に商業と交易に依存してきました。シルクロードの重要な拠点として、東西交易の中心地となり、多くの商人が集まりました。現在でも、ブハラは天然ガスの産出地として知られ、繊維や絨毯の生産でも有名です。

観光産業も重要な経済要素となっており、旧市街地が世界遺産に登録されて以降、多くの観光客が訪れています。ブハラの市場では、伝統的な手工芸品や絨毯、スーザニ刺繍などが販売されており、観光客に人気です。

観光

ブハラは、その豊かな歴史と文化を体験できる観光地として人気があります。旧市街地には、多くの歴史的建造物が点在しており、訪れる人々に中世イスラム都市の雰囲気を感じさせます。特に、ポイ・カリヤン・モスクとカリヤン・ミナレットは、ブハラの象徴的な建造物であり、その壮大な建築は訪れる人々を魅了します。

また、イスマーイール・サーマーニー廟は、サーマーン朝時代の建築の傑作であり、その美しい装飾は必見です。アルク城は、ブハラの歴史を物語る重要な遺跡であり、城内には博物館があり、ブハラの歴史や文化を学ぶことができます。

ブハラの市場も観光客にとって魅力的な場所です。ここでは、伝統的な手工芸品や絨毯、スーザニ刺繍などが販売されており、観光客は地元の文化に触れることができます。また、ブハラの旧市街地を散策することで、歴史的な建造物や美しい庭園を楽しむことができます。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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