平家物語
内裏炎上
同じき十四日の夜半ばかり、山門の大衆、またおびただしう下洛すと聞えしかば、夜中に主上は腰輿に召して、院御所、法住寺殿へ行幸成る。中宮は御車にたてまつって、行啓あり。小松の大臣、直衣に矢負うて供奉せらる。嫡子権亮少将維盛、束帯にひらやなぐひ負ふて参られけり。関白殿をはじめめたてまつりて、太政大臣以下の公卿・殿上人、我も我もとはせ参る。おほよそ京中の貴賤、禁中の上下、騒ぎ罵る事おびただし。山門には、神輿に矢立ち、神人・宮仕射殺され、衆徒多く疵をかうぶりしかば、大宮・二宮以下、講堂・中堂すべて諸堂一宇も残さず焼払ひて、山野にまじはるべき由、三千一同に僉議しけり。これによって、大衆の申すところ、法皇御はからひあるべしと聞えしかば、山門の上綱等、子細を衆徒にふれむとて登山しけるを、大衆おこって西坂本より皆追っ返す。
つづき